職場のコミュニケーション論

職場における、コミュニケーション由来のストレス解消の一助

仕事の属人化と標準化、モチベーションと効率。業務標準化を進める人に気にして欲しいこと

 「あの人がいないから仕事が進まない…」「この業務の内容はあの人しかわからない…」日々の仕事でこのような場面に遭遇することがあります。これは業務が〝属人化〟されているのでこのような事が起きるわけですが、組織として考えると〝属人化=その人がいないと仕事が進まない〟状態は、業務の進行上、様々なリスクにさらされる事になります。 

 

業務を属人化してしまう人はこんな人

 

仕事の属人化は「暗黙知の共有」がなされないために起こります。

業務を属人化してしまう人は、他人に任せるより自分でやってしまった方が早いと盲信したり、仕事をしている実感を得たいためについつい多くの仕事を抱えてしまのです。

仕事の標準化や後進育成など〝すぐやらなくても良さそうだけど、長い目でみるととても大事な仕事〟をどんどん後回しにしてしまいます。その結果、いつまでたっても〝属人化=その人がいないと仕事が進まない〟状況が続く…

属人化を招く人ほどそのことに気づかないので、おそらく業務属人化してしまう人の部下への教育方針は、「働く俺の背中を見て、体で覚えろ!」というふわ〜としたものでしょう。

 

属人化業務は「悪」であり、すべて「標準化=誰でもできるようにする」すべきなのか

 

属人化業務は悪かといえば、決してそういう訳ではありません。属人化されている事で効果を発揮する業務もあります。

●属人化が効果を発揮するケース

・知識やスキルに専門性があり、習得に時間がかかる業務

・個人の個性が効果を発揮する業務

・その場その場で対応を変えなければならない、不確定要素が多い業務

これらの業務では、標準化しようにも、形骸化した基本業務以外のイレギュラー業務について業務内容を洗い出す必要があり、仮に標準化できたとしてもその精度は低く、業務の質が下がってしまう可能性も高いです。

属人化業務にして良い業務と悪い業務があるのです。

 

仕事において、人の手が加わるかぎり、多かれ少なかれ属人化は起きます。

しかし属人化業務の全ては、特定の人にしかできない業務なのか、決してそういう訳ではなく、業務のいくつかは誰でもできるような事もあるはずです。

業務を細分化し、標準化をできるところのみ標準化していけば、例えば退職等による、ノウハウ喪失リスクを最小限にとどめることができるでしょう。

 

標準化は、すべての人を幸せにするのか

 

標準化を進めることで、属人化業務の担当者は自分が築き上げた業務を、取り上げられた気分になり、いい気分はしないでしょう。むしろモチベーションを著しく低下させることも大いにあり得ます。

無理に標準化を推し進めるのではなく、属人的業務の担当者をどのようにフォローするかを考えるべきと思います。

「その人らしさ」活かされる業務は「良い属人化」。こういう良い属人化はむしろ大切にしたほうが良いのです。働きがいが生まれ、職場に良い効果をもたらす事も大いにあると思うのです。

 

プライドをもってやっていた仕事をやたらに標準化しようとするあの人は、職務上位者からみれば効率を重んじる良い部下でしょう。ですが、現場を担う人間から見れば、これまでの仕事への誇りを簡単に踏みにじる嫌なヤツとしか見られないかもしれません。

標準化を進めるには、業務効率化への万能の手段では決してなく、それを進めるのは細心の注意が必要であることを肝に命じるべきなのです。

 

 

容疑者取り調べの極意で、ニガテなあの人と信頼関係を築く方法

職場や取引先のニガテなあの人と仲良くなるにはどうすればいいか。

その方法は結構簡単です。

その人を徹底的に好きになればいいんです。

 

10年ほど前、あるビジネス雑誌に載っていた警視庁で地位のあった人(名前もわからず記憶曖昧です)へのインタビュー記事で、今でも心に残っている発言があります。それは…

 

「容疑者に口を割らせる極意は、その容疑者を徹底的に好きになる事」

 

という発言です。

(確か)捜査一課時代の取り調べの極意なのですが、この記事を読んだ時とても興味深く感じました。

凶悪犯罪の容疑者に事件の真相を語らせるためには、憎っくき容疑者を徹底的に追い詰めるよりは、容疑者の人間性そのものに向き合い、その気質や性格を受け入れる事で、取り調べ人と容疑者の間に信頼関係を醸成し、供述しやすい環境を作るということなのでしょう。

 

では、職場や取引先のニガテなあの人と仲良くなるには、どうすればいいか。

ニガテになった理由は必ずあるはずで、それはメチャクチャに怒られた記憶だったり、とても嫌な思いをさせられた記憶だったり様々だと思いますが、いったんそれは脇に置いといて、容疑者…ではなくニガテな人の人間性そのものに向き合い、その気質や性格を受け入れる努力をしてみるのです、徹底的に。

そうすると「やたら細かくてムカついてたけど、仕事はしっかりしているな」とか「あいつコミュニケーション能力なくてイラっとしてたけど、彼もいろいろ我慢しているのかもしれないな」とか「いつも偉そうにしているあの担当者は、実は頼れる人なのかもしれない」とか…否定的な見方はやがて肯定的な見方へと変わり、これまで停滞していた関係を好転させることができるのです。 

それでも相手は心を開いてくれないかもしれません。それならもっと徹底的に好きになってみましょう。凶悪犯罪者は、心を開いてくれるのだから…

 

 

高コンテクスト文化と低コンテクスト文化で考える、職場のコミュニケーション

エドワード.Tというアメリカの社会学者は言語と文化において、世界にはコミュニケーションのパターンが2つあるとしています。

 

①高コンテクスト文化

人間関係や社会習慣など言語メッセージ以外に依存するタイプのコミュニケーション。詳しく説明しなくてもお互いに分かり合える、察しの文化といえる。「聞く力」が重視される。

②低コンテクスト文化

言語が緻密性をもっていて、言語以外のものに依存しないタイプのコミュニケーション。何事も言葉にして明らかにしないと分かり合えない、言葉の文化といえる。「言う力」が重視される。

 

高コンテクスト文化と低コンテクスト文化では、コミュニケーションに対する考え方が根本的に違うのがわかります。 

 

では、日本のコミュニケーションのパターンはどうかというと、日常的に「空気を読む」とか「行間を読む」といった“あえて言わない美徳”があり、高コンテクスト文化に分類されます。日本においては、相手に全てを言わせないのがコミュニケーション上手な人で、聞き手の能力が問われるコミュニケーションスタイルなのです。傾聴力をテーマにするビジネス書をよく本屋で見かけますが、これは日本が高コンテクスト文化だからと言えるでしょう。

一方、世界の大部分は低コンテクスト文化です。お互いの経験・価値観・倫理観・宗教観・歴史観は大きく異なり、偏見すらある中で交わされるコミュニケーションは「通じない」ことが前提で話さなければならないのです。

  

高コンテクスト文化の日本でも、最近は価値観の多様化で、同じ日本人同士でもコンテクストを共有することは難しくなっています。職場では的確・正確な情報伝達をしなければならない場面も多く、仕事でメッセージを伝える時は「相手も自分と同じ様に解釈してくれるだろう」なんて安易に期待せず、相手は自分のことをよく知らないという前提で、相手に理解できる様にコミュニケーションをとらなければならないのです。

職場での高コンテクスト・コミュニケーションは信頼関係の構築という部分では、大切ですが、それ一辺倒な人は「あの人はいい人だけど、情報共有能力がなく、仕事の能力の低い人」という烙印を押されかねないのです。

 日々過ごす職場は、低コンテクスト文化で言語による情報伝達が大切。「言わなくてもわかるでしょ」ではなく、「言わなきゃわからない」のです。

 

要は高低コンテクストどちらが良いのかという事ではなく、使い分けが大事ってことなのです。

真面目なあの人は、一生懸命仕事をしていいるのに成果が上がらない。なにがダメなのか

真面目そうな性格で好印象だったのに、やることはどれも中途半端で、ミスや失敗が続き、ついには信用を失ってしまう残念な人がいます。そんな人は得てして、目前の仕事に追われ、仕事を一人で抱え込んでいる状況であることが多いと思うのです。

 

真面目なあの人はなぜ、抱え込んでしまうのか

 

①物事の先を見通す力がない。甘い見通しと根拠のない自信から、できると過信してしまう

基本的資質として物事の先を予想したり、計画を立てることが苦手なので、甘い見通しをたててしまう。「何とかなる」「頑張ればできる」といった言葉が大好きで、その言葉の根拠は「人事を尽くして天命を待つ」というものではなく、自分の能力への過信や他力本願的な成り行き任せなもの。

 

②意欲旺盛に見せるのは得意で、何でも抱えてしまう

上司へのアピールのため意欲を見せようとし、キャパシティを考えず能力以上の仕事を抱え込み、結果キャパオーバーとなってしまう。長期的な見通しを考えることができないので、失敗をしたらどうなるかを予想することが難しいので、抱え込まない選択肢がない。真面目そうで期待されながらも、結局、無策のまま失敗し、信用を失ってしまう。

メンバーにこんな人がいたら、リーダーの判断のもと、周囲の人がフォローすれば、いいのですが、特に困るのは、リーダーがこのタイプの人間だった時ではないでしょうか。

 

物事の先を見通す力がないのに、意欲旺盛なリーダーはなぜイタイのか

 

チームで仕事をするとき、業務の進捗や次に何をするかなど、業務の見通しを伝えることでメンバーは安心して仕事をすることができます。

見通しをメンバーに共有していれば、チームに精神的ゆとりが生まれると同時に、不測の事態にも慌てず対処できることが可能になるからです。

情報共有をせず、成り行き任せでメンバーに仕事をさせているリーダーを例えたら…
濃霧の中、100メートル先に敵軍の伏兵がいるのに、「命令を遂行するために急がなきゃ、とりあえず進め、敵なんていないでしょ」と偵察せず進んでしまう、無謀極まりない無能な司令官です。
事前に情報収集をして、100メートル先に敵軍がいることを知っていれば、こんな危険なことはさせません。事前の情報収集と危険予測こそが、リーダーに必要な能力の一つなのではないでしょうか。

「こうなりました、どうしよう」ではなく「こうなるだろうから、こうしよう」という、予測を元にした建設的な見通しで先手を打ち、さらに密な情報共有で、あらゆる事態に適切な対応が可能な体制を作ることがこれからのリーダーに求められるのではないでしょうか。

 

モチベーション最重視のリーダーは、リーダーとして有能と言えるのか

意欲が常に湧き上がり、モチベーションが高く維持できている働き方は理想的であると言えます。

しかし、モチベーションそのものは「ささいな理由で上下してしまう、個人の気分」でしかありません。成果を出す人はどんな仕事をするときでも、自身の気分に関心を払わず、淡々と仕事をするものです。モチベーションは高い方が良いですが、高いモチベーションをもつ人が良い仕事をするとは限らないのです。

つまり、良い仕事をするために、常に高いモチベーションを維持する必要はないのですが、モチベーションが高い人は能力が高く、特別な教育せず放っておいても成果を出してくれる、扱いが楽で夢のような人材であると勘違いしている人は結構多いと思います。 

実際はむしろ逆で、高モチベーションの人ほど、親切丁寧に目標のすり合わせや、目標達成への環境作りをすることが大切なので、決して扱いが楽な人間ではなく、労力かけてでも、最も気を使うべき人材である事を深く認識すべきと思うのです。

 

モチベーション最重視のリーダーはリーダーとして有能なのか?

 

職場で、モチベーションを最重視するリーダーによく遭遇します。こういうリーダーの元では認めてもらうために、やりたくない事も「その仕事やりたいです!」と言わなければならず、脅迫観念に似た高モチベーションアピールを維持しなければなりかねません。見せかけの高モチベーション維持は決して理想の働き方ではなく、窮屈でしかありません。

大小様々なプロジェクトや係の担当者を決めるとき、その人選はリーダーの重要な仕事ですが、能力以上にやる気を重視してしまう、高モチベーション重視主義という考え方は、適切な人員配置を妨げているように思えます。

低モチベーションでも有能な人は立派な成果をあげることができます。仕事の担当決定の決め手は、やはり職務遂行能力であり、モチベーションの有無はあくまで付加的なものとして見るべきなのでしょう。

メンバーの能力を見ず、モチベーションの有無のみで安易に人選してしまうリーダーは、メンバーの事をよく知らず、人選の判断材料が目に見える範囲のモチベーションくらいしかない、チーム運営能力に欠けるリーダーである事を暗に示してしまっているのです。

 

もし自席の近くにやる気をやたら重視しているリーダーがいたら、その人は度量のある尊敬すべきリーダーではなく、実はあらゆる場面で安易な判断をしてしまいかねない無能なリーダーなのかもしれません…

 

〈合わせて読んでほしい、職場のコミュニケーション論〉

仕事では行動を起こす原因になっても、失敗の原因にはできない「忖度」という難しい習慣

仕事で何か問題が起きた時、安易な責任回避の手段があります。それは…

「その場の雰囲気でそうするしかなかった」なんて発言で、第三者が決して確認することができない、記憶や気持ちといった自分の思考やその場の雰囲気を責任とするのです。最近では「忖度する」なんて言葉がよく使われるようになりました。

 

ちなみに「忖度」とは〝他人の心中やその考えを推し量ること〟が本来の意味ですが、今日の「忖度」という言葉は、推量した上で「何かに配慮して行動する」という意味が加わり、〝両者の力関係を背景に、公表できないような要求の受け入れを迫られ行動した〟という使われ方が最近の主な使われ方のようです。

 

日々の仕事でもはっきり要望を言わず、どうか察してください的な感じを醸し出す人は多く、そういった場面では相手の気持ちを「忖度」できるかどうかで仕事のスピードが変わることも事実です。「あうんの呼吸」なんて言葉もあります。

 

しかし、「忖度」した結果、重大なミスを起こしてしまったとき、「忖度した結果、ミスしてしまいました」なんて言い訳は通じず、明確な原因追及が求められます。「忖度」は仕事上、行動原因になりえるですが、言い訳にはならないのです。

 

仕事での「忖度」はダメなのか?

 

 日々の仕事で「忖度」することは決して悪いことではなく、対等な人間関係においては、潤滑油として大切なことであると言えます。

しかし、ピラミッド型の権力構造で「忖度」というものが働くと、上位の人間がその権力を背景に、責任を負うことなく自分の意思を下位の人間に行動させることが可能となります。忖度は責任の所在を曖昧にできる、責任者にとって都合の良い習慣という一面も持っているのです。

会社という組織で生きる以上、意見は違えども上司の意思に従うことは必要ですが、もし問題が起きた時、上司が責任をとってくれると思いきや「下が勝手にやりました」みたいな対応されちゃうことも無きにしもあらずで、逆に「忖度」を求める部下と手取り足取り面倒みてしまう上司の関係も然りです。ビジネスで便宜を図るための忖度は良いことばかりでは無いのです

しかし部下がミスしたときに、上司が「忖度」してくれてうまく対処してくれたなんて事も多々あるわけで…これは対等な人間関係においての潤滑油に属するものなのですしょう。

 つまりは業務上の忖度は潤滑油として必要だけれども、責任追及の場で忖度を持ち出すのはナンセンスで、そうならないように日頃から明確な指示や意思表示はしていかなければならないという事だと思うのです。

 

【コチラも読んでほしい、コミュニケーション論】

「情報共有が苦手な内気なタイプの人」は、意図せず周囲を出し抜いているような状況にしてしまい、結果的に「とても感じ悪い印象を自ら作り上げてしまっている」という推論

できるだけ周囲の抵抗を受けず、自分に有利な行動を起こす方法は意外とシンプルで、あらかじめ秘密裏に関係者へ根回しや決裁者の承認を得て、自分に有利な決定事項としてしまえばいいのです。これを「出し抜く」といいます。

 

物事を決める時、大概は賛成派と反対派がいて、協議を経てお互いの合意の上で決定されるものですが、協議にはそれなりのエネルギーが必要で、もし反発必至の事案であったならば、説得から合意までに相当なエネルギーが必要となります。なので協議をせず、事前の根回しによって一方的に決めてしまう「出し抜く」やり方は、非常に手っ取り早く、自分に有利な行動を起こせる、効率的な方法であるといえるでしょう。

 

しかし事前の経緯を何も知らされないまま、一方的に通達された側としてはこれ以上の失望はありません。「出し抜く」というやり方は物事を決める方法としては効率的だけど、信頼を失う事必至の最終手段であるといえるのです。

 

そもそも出し抜く人は、当然そのリスクを織り込んだ上で出し抜いているものですが、意図せず出し抜いた状況を作ってしまい信頼を落としている人がいます。それは「情報発信のタイミングがやたら遅い(または情報共有しない)人」です。

 

情報共有する際の発信タイミングが「決定事項となったとき」となってしまうのは、事案によっては仕方ない事ですが、「決定しないと発信できない人」という人は困りものです。
そういう人は、こまめな情報共有が面倒と感じるコミュニケーション能力が低い人であるか、資質として事前協議の必要性を感じない問題解決能力が低い人なのである可能性が高いといえるのです。情報発信のタイミングの遅さに文句をいった時、その理由が「決定したら言おうと思っていました」みたいな言い訳が多い人は、注意が必要でしょう。

 

「決定したら言おうと思っていた」事を頻繁に理由にしてしまう人は、単に発信が面倒だからというのが本心かもしれません。しかし相手にしてみれば、事前の協議や進捗を知らされずに、一方的に通達されたように感じるか、場合によっては「出し抜かれた」印象を与えかねないのです。

相手との信頼関係を考えた時、安易に情報共有や進捗共有を怠るのは非常に危険です。情報共有意識が高い人や有能な人は情報共有や進捗共有を重視している人が多く、これを怠ることでの信頼感の低下は、絶対に回避すべきところなのです。

 

…でも「出し抜く」事は仕事がデキる人だからできることだけど、安易に情報共有や進捗共有をを怠る人はデキない人なので、この記事を読んでくれるか、誰かに直接指摘でもされない限り、自ら認識するのは難しいんだろうなあ。。。

 

【あわせて読んで欲しい、コミュニケーション論】

 

コミュニケーション円滑化の鍵を「ジョハリの窓」で考えた

 

「ジョハリの窓」という、コミュニケーションを円滑にするための考え方があります。これは心理学者のジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリ・インガム (Harry Ingham) が考案したもので、この考え方を用いることで、周囲への自己開示の程度がわかり、自分が周囲とどれくらいコミュニケーションが取れているかを自己分析できるのです。ちなみに「ジョハリ」というのは、“ジョ”セフ・ルフト+“ハリ”・インガム=“ジョハリ”であり、二人の名前を合わせてできた造語です。

 

「ジョハリの窓」は4つの窓で構成されています。

①開放の窓 … 自分も他人も知っている、公開された自己
②盲点の窓 … 自分は知らないが、他人は知っている自己
③秘密の窓 … 自分は知っているが、他人は知らない、隠された自己
④未知の窓 … 自分も他人も知らない、誰も知らない自己

この4つの窓は、人によってその大きさが違いますが、窓の大きさの比率は固定されているのではなく(ただし4つの窓の総面積は固定)、自分の意思でそれぞれの窓の大きさの比率は変えることができるのです。

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①の開放の窓が大きければ、周囲への自己開示が進んでいることになり、コミュニケーションが上手くいっているということになります。
逆に小さいと、②盲点の窓と③秘密の窓の大きさの比率が高くなり、自己開示が進んでいない→コミュニケーションが上手くいっていないという事になります。

【コミュニケーションが上手くいっている状態】
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もし「自分のコミュニケーションが上手くいっていない」と思っているのなら②盲点の窓と③秘密の窓を小さくすることで、改善させることができるのです。
それでは、どのようにそれぞれの窓を小さくすればいいのかというと…

●「②盲点の窓」を小さくする
→他者からの指摘を真摯に受け止めたり、自分を見直す作業をする

●「③秘密の窓」を小さくする
→表面的でない、本当の自分を見せる

これをやると、「盲点の窓」と「秘密の窓」が小さくなり、
「開放の窓」が大きくなるのです。

 

ここで注意したいのが、「開放の窓」を大きくするためには、
「開放の窓」を大きくして「盲点の窓」と「秘密の窓」を小さくするのではなく、
「盲点の窓」と「秘密の窓」を小さくして「開放の窓」を大きくしなけれはばならないという事です。この大きさの変え方は似て非なるもの。意味が大きく変わります。

自分の「盲点」や「秘密」はそのままに、「開放の窓」を大きくしようとすると、本来の自己とは違う「理想的な自己」ばかりを開放してしまいます。尊大なイメージの人はこの傾向が強く、自分大好きでおしゃべり好きな人というのは決してコミュニケーション能力が高いとは言えないのです。なので「盲点」を縮小し「秘密」をオープンにして、本当の自己を開放することが肝要と言えるのです。

 

「盲点の窓」の縮め方

盲点の縮小化は周囲の協力が効果的で、ポジティブな「盲点」を相互に指摘することに効果がありそうです(なお、ネガティブな指摘はケンカになりかねない。注意)。そんな協力関係が築けるような環境の整備も必要ですが、恥ずかしがらず、勇気を出して「可愛らしい素敵な盲点」いってみてみると、お互い少し親近感がでてくるかもしれません。

ポジティブな相互盲点指摘ができる環境をつくるにはコチラを参考に…

 

「開放の窓」の縮め方

変にカッコつけず、自分の弱さやカッコ悪いと思っている「秘密」をオープンにしてみる。そうすれば「開放の窓」は大きく広がり、円滑なコミュニケーションが取れる事ができるのです。

 

自分の行動次第でジョハリの窓の大きさを変えることで、コミュニケーションを円滑にすることができます。ジョハリの窓で考えると、コミュニケーション円滑化の鍵を握るのは、周囲ではなく自分であるといえるのです。

 

 【あわせて読んでほしいコミュニケーション論】

 

 

政治家だけじゃない。職場でも必要な 「政治力」という能力

集団の大小に関わらず、コミュニティには必ず「政治」が生まれ、諸々の問題のほとんどは「政治」により解決されます。その「政治」とは…

せい‐じ〔‐ヂ〕【政治】
ある社会の対立利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決を行い、これを実現する作用。(出典:小学館デジタル大辞泉

とありますが、つまり集団の中で起きる問題は、論理的に明快かつ公平に解決できることは極めて少なく、「政治」という利害関係や力関係を勘案した調整による意思決定よって、関係者が被害最小限で解決されるというものなのです。

 

「政治」で問題を解決するのは、ネガティブなイメージがあるかもしれませんが、双方が自身にとっての正論を述べているときに、理屈で相手を納得させるのは難しい中、「政治」で解決するということは論理的ではなくても、円満に解決できる有効な方法であるのです。

普段の仕事においても、自分を考えを通したい時や、お昼をどこで食べるかなど集団の考えが一致しない問題は、それぞれの「利害関係」や「力関係」を軸に解決されていることが多いのです。人が関わる問題は論理的に解決するというものではなく、お互いの力関係や利害関係で「政治的解決」がされていることがほとんどなのです。

 

政治的解決は、「政治力」がある人が問題解決の主導権を握ることになるのですが、ではその「政治力」は一体何でできているのでしょうか。それは以下の2点ではないかと思います。

 

①権力(結局、エライ人には逆らえないっていうこと)
→指揮命令権・人事権など強制的に相手をうごかせることができる力。肩書の差が力の差を分ける

②影響力(「あの人が言うなら受け入れよう」と思わせる力)
→相手に自発的に動いてもらうよう促す力。「信頼関係」「好きか嫌いか」「実績」「専門知識」が力の差を分ける

 

上記で構成される強力な政治力。ぜひほしい力ですが、会社でこれを得るのはとても大変です。なぜなら①権力を強化するには、役職が得られるよう努力しなければならないですし、②影響力を強化するのにも日頃の信頼の蓄積が不可欠です。

 

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夏目漱石は社会について

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」(出典:夏目漱石「草枕」)

なんて表現してますが、人の世で生きるには、智(ルール)や情や意地一辺倒ではダメで、この3つをバランスよく扱うことが大事でそれがとても難しいということですが、それらをうまく扱える能力が「政治力」であり、社会で生きる上で必要不可欠な処世力といえるのです。

 

 【あわせて読んでほしいコミュニケーション論】

 

 

「一生懸命頑張っているのに、思うようにみんなが動いてくれない…」と嘆いている人は、「信頼の蓄積」が足りてないのです

仕事は、面倒くさい事が多いです。

しかし面倒な事でも自分一人で処理することができるなら、まだ良いかもしれませんが、厄介なのはその面倒を「頼む時・頼まれた時」です。

不思議なもので、同じ頼み事でも、相手に抵抗感なく頼める人とそうでない人が存在します。なぜこのような差がでてしまうのか。それは頼む人の「信頼の蓄積」が関係しているからです。「信頼の蓄積」がたくさんある人は、さほどの抵抗なく周囲を巻き込めますし、そうでない人は周囲を巻き込む事で、ものすごい抵抗を受けることになるのです。

 

信頼はどのように蓄積されていくのか

 

それは何か大きいことを成功させ実績をつくらなければならないという事ではなく、継続的な小さい成功・実績の積み重ねです。たとえば

・普段の仕事をソツなくこなす
・約束を守る
・的確な報告・連絡・相談
・ちょっとした声かけ・雑談
・こまめな情報共有
・相手のメリットのなる行動をする

といった小さい成功・実績が、信頼を蓄積することにつながります。
逆に

・普段の仕事がミスばっかり
・約束を守らない、スルーしてしまう
・的外れな報告・連絡・相談
・だれとも話そうとしない
・無意味な秘密主義
・自分のメリット最優先の行動をする

日常的にこのような行動の人は信頼を蓄積できないどころか失っていくことになります。

 

コミュニティごとで「蓄積すべき信頼」は違う

 

信頼の蓄積することの大切さは万国共通ですが、「蓄積すべき信頼」は職場ごと、仲間内でも、そのコミュニティごとでそれぞれで違うのが難しいところです。

仕事ができても生真面目で面白みのない人より、仕事は並でもゴマスリが上手い人が出世したり、仕事ができるが上司に何かと意見・反発する人より、仕事は並でも操り人形のごとく従順な人の方が重宝されることはよくありますが、結局は相手への「蓄積すべき信頼」を見極める力の差がそうさせてしまったわけであり、的を得た蓄積が肝要と言えるのです。

 

”不思議と助けが集まる愛されキャラ”の人は、そのコミュニティでの「蓄積すべき信頼とは何か」をよくわかっていて、普段から信頼蓄積に努めた結果であるということなのでしょう。ちょっと天然っぽくて可愛げのある子分タイプのあの人は、本当に天然なのではなく信頼蓄積が天才的に上手いという事なのかもしれません。

 

一方で、一生懸命頑張っているのに、誰も助けてくれない人もいます。それは周囲への「蓄積すべき信頼」を見誤っているのか、”不思議と助けが集まる愛されキャラ”の人のように、日頃の信頼蓄積の努力をしていないからかもしれません。

協力を得たい時、チームをまとめたい時、人を動かすのに必要なのは、高い身分ではなく信頼の蓄積という見に見えない、極めて解りにくいものです。だから人を動かすのは大変なのでしょう。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】

 

「この人とは話が噛み合わないな…」と感じたときに注目したい3つのポイント

 

 

仕事をするからには、必ず関係者とコミュニケーションをとることになるのですが、

「この人とは話が噛み合わないなぁ」とか

「この人は何でわかってくれないんだろう?」と

イマイチ意思疎通がうまくいかないと感じることはよくある事です。

そんな時に注目したいのが、3つの差です。

 

1.情報量の差

2.解釈の差

3.価値観の差

 

イマイチ意思疎通ができていないと感じたときは、

この3点が同じか、同等であることを確認する必要があるのです。

 

 

例えば、何か頼んだ時に、特にスケジュール感を伝えず、

「そんなに急いでないので、空いている時間でやっといて!」とだけ伝えたとします。

 

●頼んだ方と頼まれた方には「情報量の差」があるので…

頼んだ方:(スケジュールを知っているので)
→今週中に、仕上げてもらえばいいや

頼まれた方:(スケジュールを知らないので)
→急いでないなら、来週やろう

なんてことになり、「まだできないの?」と後でモメる可能性大です。

 

●頼んだ方と頼まれた方には「解釈の差」があるので、
「そんなに急ぎではない」という言葉を、

頼んだ方:(仕事=スピードが信条の人なので)
→早くて2、3日、遅くても今週中で仕上げてもらえるだろう

頼まれた方:(マイペースなのんびり屋さんなので)
→「そんなに急ぎではない」って言ってから来週でいいや

なんてことになり、「まだできないの?」と後でモメる可能性大です。

 

●頼んだ方と頼まれた方には「価値観の差」があるので、
「空いている時間でやっといて」という言葉を

頼んだ方:(とても優しい人なので)
→変なプレッシャーを与えないから気遣いのつもり

頼まれた方:(優先順位を決めて仕事を片付ける人なので)
→必要なら時間あけることもできるけど、「空いてる時間でやっといて」って、
結局いつまでにやればいいのかわからない…

なんてことになり、「もうちょっと気遣いのある頼み方してください」と
後でモメる可能性大です。

 

 気心知れた仲の人に「話に主語がなくてわからない」って指摘される人がいます(ちなみに私もよく指摘されます)。

主語なくてもわかるでしょ、なんて自分は思っても、

予想以上に聞き手はあなたのことを理解していないのです。

つまりは「自分と相手の世界は基本的に違う」という極めてあたりまえのことが

いざコミュニケーションをとる場面で抜け落ちてしまっているのです。

自己啓発本などで、“伝わらないのは伝える側の責任である”なんて言葉を目にします。

まさにその通りで、伝える側が3つの差を補うコミュニケーションに

考慮しなければならないのです。

そして「話がわかる人」というのは、

この3点の差を意識して、

話し手との差を埋めながら傾聴できる人のことをいうのでしょう。

 

コミュニケーション能力の高さは「情報量の差、解釈の差、価値観の差」の

3点の差を理解していて、話し相手との差を埋める巧さに比例している

と言えるのかもしれません。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】


 

忙しそうなリーダーに「なにか手伝いますか?」と聞いたら「やりたい?」と笑顔で聞き返された

こういうケースに何回か遭遇したことありますが、ものすごい違和感を感じます。これやる人はリーダーとして不適格な感がして仕方ありません。

 

忙しそうな人を見て「なにか手伝いますか?」と聞くのは、手助けする「必要性」や「善意」だったりするのに、それに対して「やりたい?」と「意欲」を問う姿勢に違和感や滑稽さ、面倒臭さを感じていてしまうのです。「意欲」があるから手を差し伸べているのに、「やりたいならやらせてあげる」と思わせるのは、結構上から目線で、無駄なプライドを感じます。

 

 「やりたいなら、やらせる」「やりたくないなら、やらせない」という自主性や意欲を最重視した考えからの「やりたい?」という発言なのかもしれません。仕事において失敗を恐れない意欲やチャレンジ精神は不可欠なものですが、失敗できない仕事もあるわけで(どちらかというと、こっちの方が多い)、そこをリーダーが業務全体を俯瞰し、その責務や必要性をもって判断すれば良いものを、変に「意欲」を求め、仕事依頼の根拠を「意欲の有無」一辺倒とするのは、リーダーとしては安易と言えます。

 

事案の重要性や特性を考えずただ「やりたい人」を募るリーダーは、意欲重視のチャレンジ精神あふれる良いリーダーではなく、状況を俯瞰できていない、「安易なリーダー」であるといえるのです。

そもそも仕事っておおよそ面倒なものが多く、本当にやりたい!と思える仕事に出会えるのは数少ないのが大多数の現実です。表題の「安易なリーダー」に下手に意欲を見せたが故に、多くの仕事を「チャレンジ(押し付けられること)」させられないよう注意したいものです。

 

「意欲の問い方」で思い出すのがこの二つの発言です。

●MLBのイチロー選手がマーリンズと契約するときに球団から言われた

「いたいだけいてほしい」

 ●西武ライオンズの監督だった森祇晶氏が当時のオーナーに、契約するときに言われた

 「(監督を)やりたければどうぞ」

 

この言葉は似てはいますが、意味するところは全く違います。

「いたいだけいてほしい」は球団から契約継続の決定をイチローに委ねられているのに対し、「やりたければどうぞ」は契約継続の決定はオーナーが握っていて、オーナーのプライドの高さも感じます。イチロー選手と森監督はこの言葉を受け取ってどのように感じ、次のシーズンへのモチベーションをどのようにあげていったのでしょうか。

 

つまりは意欲の問い方にも状況判断や言葉のセンスが必要なのです。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】

 






 

作業効率が良いチームは「メンバー業務の責任範囲」が明確で、「チーム内の情報共有が活発」であること

チーム運営において「人海戦術」は品質的側面から効率的とはいえない

 

少ない人数で複数プロジェクトを動かす時、「すべての人がすべての業務をできる」状況は理想的ではあります。常にメンバー総動員して乗り切ろうとする、いわゆる「人海戦術」なやり方は、一見効率的に見えますが、すべてのメンバーが同じ所要時間で、同じような成果をあげる事ができるとは限らず、またメンバーの適性や成果のバラツキなどを考慮する時、「人工(にんく)」の側面では効率的であると言えますが、「品質」と点から見ると、必ずしも効率的な方法ではなるとは言えないと思います。 

 

誰が何をして、(業務・プロジェクト運営の)どの部分に責任持つのか

 

日々の業務やまたは数年先を見据えた計画…短期的な業務から長期的な業務まで、この事を明確にする事で、指示された人は自分の「業務の守備範囲」を知り、自分のすべき事が見えやすくなるのです。

 

「業務の守備範囲」を決めて自主性を高めつつ、チーム内連携を促し、効率的に品質をあげる

 

仮に野球チームの監督がチーム力底上げのため、「ウチは少数精鋭だから、投手も野手も関係なく、9つすべてのポジションをできるようになれ!」と選手に指示したら、まちがいなく選手は困惑すると思います。9つのポジションをできるようにするには、1つのポジションを覚えるより9倍大変です(←単純計算)。もちろんこれが実現できたならすばらしいことですが、結構手間ひまがかかる事は素人でもわかります。

しかし、自分のポジションを上手くなるため、守備全体を知る事はとても有益です。もしチーム力の底上げを狙うのであれば「投手も野手も関係なく、9つすべてのポジションをできるようになれ!」と指示するのではなく「君はセンターを守れ。センターの守備を磨くのも重要だけど、他のポジションの動きも知って連携プレーも覚えてね」と指示すれば、「センターの選手はセンターだけ」ではなく、選手は他のポジションとの連携を意識するようになり、チーム全体の守備力が上がっていくのではないかと思うのです。

 

個々に具体的な役割をあたえることで、役割への責任を与え、その役割から見えてくるであろう取り組むべき課題の発見・その解決に主体性をもって取り組ます事、そしてチーム内の連携を促す事が、効率的に品質をあげる方法なのではないかと思うのです。

チーム内の連携を促すために必要なのは、「業務全体の情報」という潤滑油です。できるリーダー条件とはこの潤滑油を「質の良い情報をメンバーに提供できるか」ということに尽きるのかもしれません。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】

 

サービスサイエンスを使って、6つの視点から業務能力を分析する方法

サービスサイエンスという概念があります。「サービス」というものを体系化し分析することで、サービスの向上を図ろうとする学問分野のことで、かのIBMが提唱した概念です(詳細はWikipediaなどを参照)。つまりは、お店など社会全般のサービスをより良くするための概念・学問体系ですが、この概念で「従業員個人」を見ると、その人の業務能力の分析ができます。

我々社会人は、何らかのサービスをしているわけですがこの「サービス」なるものの実体は目に見え難く解りにくいものであるといえます。しかしサービスサイエンスに基づき、「個人がやっているサービス(仕事)」を分析することで、取り組みを「見える化」できるのです。どのように「見える化」するか。以下の6つの視点で分解します。

【業務能力分析の6つの視点】

●正確性
→どれだけ正確に行えるか

●迅速性
→どれだけスピード感のある対応を取れるか

●共感性
→要望をどれだけ読み取れることができるか

●柔軟性
→要望の変化にどれだけ柔軟に対応できるか

●安心感
→不安を抱える人にどれだけその不安を払拭することができるか

●好印象
→どれだけ不快な印象を与えないか

業界・職種は違えど、結局サービスというのは以上の6つの要素に集約されます。この視点を外すと、自分は良かれと思っているサービス(日々の仕事)は、「余計な御世話」や「斜め上のサービス」となってしまう可能性が高いです。

チームのメンバーへ評価指針とすることもでき、かつ自身の働き方の棚卸、自己分析にも使える、サービスサイエンスをうまく取り込んで、日々の仕事に活かしていきたいものです。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】

「マジメで有能」と思っていたら「マジメで無能」だった。どうするか。

印象がとても真面目そうなのに、実際はあまり仕事ができない(以下、「マジメ系無能」と呼びます)人って結構多くいると感じます。流行語として「真面目系クズ」なんて呼び方もされているようです。

 

「マジメ系無能」の有能なところ

 

「マジメ系無能」な人の主な特徴は以下のようなところでしょうか。
・人当たりはとても良く、話の受け答えもしっかりしている。が、話の内容は理解していない(きちんと話を聞いている印象なので、相手は理解していると誤解してしまう)
・物事へ取り組む姿勢が、とても誠実・真面目である。が、一人で仕事を抱え込み、パンクしてしまったり、完結できなかったりする(周囲に迷惑かけまいと気を使った結果だが、結果的に迷惑かけてしまう)

「マジメ系無能」は「真面目系クズ」という言葉とほぼ同義なので、詳しい特徴は他ブログなどを参照してもらうとして、この「マジメ系無能」の注目すべき点は「相手に良い印象を与えることにとても特化している」点ではないかと考えます。

「マジメ系無能」に近しいものとして、「マジメで有能」という人もいます。2者の違いは「能力」の違いで、「マジメ系無能」と「マジメで有能」を区別するというのは非常に困難です。人の能力というものは点数など客観的な数値化でもしない限り、短時間で把握することなどできず、本来は時間をかけてじっくり第三者が把握するものであると思います。しかしその能力がはっきりするまでは、その人の印象が能力判断の大きな鍵となるわけで、とっつきにくくもジワジワとその能力を知らしめる「マジメで有能」な人よりも、印象操作に長けている分「マジメ系無能」な人の方が、有能に感じてしまうこともあると思うのです。

 

期待していたマジメな人が無能だったとき、どのように対処すれば良いのか

 

良い印象を与えることで「有能」を装う「マジメ系無能」な人ですが、いつかは無能であることはバレてしまいます。

「マジメで有能」と思っていたら、「マジメ系無能」だった。その事実を悟ってしまった時、非常にガッカリすると思います。もしかしたらその人に嫌悪感すら覚えるかもしれません。しかしそれは過度な期待からくるものであり、実力を見誤ったことがそもそもの原因で、一方的に落胆し嫌うというのではなく、期待と実力のギャップを埋める作業をするべきではないでしょうか。つまり、期待しないで、真の実力を冷静に見極めればよいのです。

 

「マジメ系無能」の活かし方

 

マジメ系無能は「嫌われたくない」とか「面倒に巻き込まれたくない」といった”事なかれ主義”が心理の根底にあり、自分が嫌われることや面倒に巻き込まれることからの自己防衛の手段として、マジメ風に装っているのです。

「あ、この人マジメ系無能かも」と感じてしまった時、どのようにして真の実力を判断していくのか。たとえば何かの説明をした時、マジメ系無能はわかっていなくても「わかりました」といってしまうので、本当にわかっているのか確認したり、こちらが何かを指摘した時、曖昧な返答で適当に取り繕う姿勢を感じたら、その曖昧な言葉に突っ込んでその意味する所を明確にさせるといいた方法が有効ではないかと思います。

「マジメ系無能」の発言行動に密かに疑いの目を持ち、冷静にその真の実力を見極めるのです、あくまで優しく、キツく接しないように…キツく接すると自己防衛の為、マジメ風が加速してしまいます。

「マジメ系無能」は本性を隠そうとしますが、そもそも自分の主義主張はあまりない人が多いように思えます。なので視点を変えると、とても扱いやすい人間であるという見方もでき、うまく矯正して、本来の実力内で仕事をやらせれば、元々の印象操作の上手さと相まって「マジメ系無能」は「マジメ系有能」にすることができるはずと思うのです。 

嫌うのは簡単ですが、「マジメ系無能」は悪ではないと思います。できれば上手く使いこなしたいところです。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】