職場のコミュニケーション論

職場における、コミュニケーション由来のストレス解消の一助になれば、幸いです。

仕事では行動を起こす原因になっても、失敗の原因にはできない「忖度」という難しい習慣

仕事で何か問題が起きた時、安易な責任回避の手段があります。それは…

「その場の雰囲気でそうするしかなかった」なんて発言で、第三者が決して確認することができない、記憶や気持ちといった自分の思考やその場の雰囲気を責任とするのです。最近では「忖度する」なんて言葉がよく使われるようになりました。

 

ちなみに「忖度」とは〝他人の心中やその考えを推し量ること〟が本来の意味ですが、今日の「忖度」という言葉は、推量した上で「何かに配慮して行動する」という意味が加わり、〝両者の力関係を背景に、公表できないような要求の受け入れを迫られ行動した〟という使われ方が最近の主な使われ方のようです。

 

日々の仕事でもはっきり要望を言わず、どうか察してください的な感じを醸し出す人は多く、そういった場面では相手の気持ちを「忖度」できるかどうかで仕事のスピードが変わることも事実です。「あうんの呼吸」なんて言葉もあります。

 

しかし、「忖度」した結果、重大なミスを起こしてしまったとき、「忖度した結果、ミスしてしまいました」なんて言い訳は通じず、明確な原因追及が求められます。「忖度」は仕事上、行動原因になりえるですが、言い訳にはならないのです。

 

仕事での「忖度」はダメなのか?

 

 日々の仕事で「忖度」することは決して悪いことではなく、対等な人間関係においては、潤滑油として大切なことであると言えます。

しかし、ピラミッド型の権力構造で「忖度」というものが働くと、上位の人間がその権力を背景に、責任を負うことなく自分の意思を下位の人間に行動させることが可能となります。忖度は責任の所在を曖昧にできる、責任者にとって都合の良い習慣という一面も持っているのです。

会社という組織で生きる以上、意見は違えども上司の意思に従うことは必要ですが、もし問題が起きた時、上司が責任をとってくれると思いきや「下が勝手にやりました」みたいな対応されちゃうことも無きにしもあらずで、逆に「忖度」を求める部下と手取り足取り面倒みてしまう上司の関係も然りです。ビジネスで便宜を図るための忖度は良いことばかりでは無いのです

しかし部下がミスしたときに、上司が「忖度」してくれてうまく対処してくれたなんて事も多々あるわけで…これは対等な人間関係においての潤滑油に属するものなのですしょう。

 つまりは業務上の忖度は潤滑油として必要だけれども、責任追及の場で忖度を持ち出すのはナンセンスで、そうならないように日頃から明確な指示や意思表示はしていかなければならないという事だと思うのです。

 

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「情報共有が苦手な内気なタイプの人」は、意図せず周囲を出し抜いているような状況にしてしまい、結果的に「とても感じ悪い印象を自ら作り上げてしまっている」という推論

できるだけ周囲の抵抗を受けず、自分に有利な行動を起こす方法は意外とシンプルで、あらかじめ秘密裏に関係者へ根回しや決裁者の承認を得て、自分に有利な決定事項としてしまえばいいのです。これを「出し抜く」といいます。

 

物事を決める時、大概は賛成派と反対派がいて、協議を経てお互いの合意の上で決定されるものですが、協議にはそれなりのエネルギーが必要で、もし反発必至の事案であったならば、説得から合意までに相当なエネルギーが必要となります。なので協議をせず、事前の根回しによって一方的に決めてしまう「出し抜く」やり方は、非常に手っ取り早く、自分に有利な行動を起こせる、効率的な方法であるといえるでしょう。

 

しかし事前の経緯を何も知らされないまま、一方的に通達された側としてはこれ以上の失望はありません。「出し抜く」というやり方は物事を決める方法としては効率的だけど、信頼を失う事必至の最終手段であるといえるのです。

 

そもそも出し抜く人は、当然そのリスクを織り込んだ上で出し抜いているものですが、意図せず出し抜いた状況を作ってしまい信頼を落としている人がいます。それは「情報発信のタイミングがやたら遅い(または情報共有しない)人」です。

 

情報共有する際の発信タイミングが「決定事項となったとき」となってしまうのは、事案によっては仕方ない事ですが、「決定しないと発信できない人」という人は困りものです。
そういう人は、こまめな情報共有が面倒と感じるコミュニケーション能力が低い人であるか、資質として事前協議の必要性を感じない問題解決能力が低い人なのである可能性が高いといえるのです。情報発信のタイミングの遅さに文句をいった時、その理由が「決定したら言おうと思っていました」みたいな言い訳が多い人は、注意が必要でしょう。

 

「決定したら言おうと思っていた」事を頻繁に理由にしてしまう人は、単に発信が面倒だからというのが本心かもしれません。しかし相手にしてみれば、事前の協議や進捗を知らされずに、一方的に通達されたように感じるか、場合によっては「出し抜かれた」印象を与えかねないのです。

相手との信頼関係を考えた時、安易に情報共有や進捗共有を怠るのは非常に危険です。情報共有意識が高い人や有能な人は情報共有や進捗共有を重視している人が多く、これを怠ることでの信頼感の低下は、絶対に回避すべきところなのです。

 

…でも「出し抜く」事は仕事がデキる人だからできることだけど、安易に情報共有や進捗共有をを怠る人はデキない人なので、この記事を読んでくれるか、誰かに直接指摘でもされない限り、自ら認識するのは難しいんだろうなあ。。。

 

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コミュニケーション円滑化の鍵を「ジョハリの窓」で考えた

 

「ジョハリの窓」という、コミュニケーションを円滑にするための考え方があります。これは心理学者のジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリ・インガム (Harry Ingham) が考案したもので、この考え方を用いることで、周囲への自己開示の程度がわかり、自分が周囲とどれくらいコミュニケーションが取れているかを自己分析できるのです。ちなみに「ジョハリ」というのは、“ジョ”セフ・ルフト+“ハリ”・インガム=“ジョハリ”であり、二人の名前を合わせてできた造語です。

 

「ジョハリの窓」は4つの窓で構成されています。

①開放の窓 … 自分も他人も知っている、公開された自己
②盲点の窓 … 自分は知らないが、他人は知っている自己
③秘密の窓 … 自分は知っているが、他人は知らない、隠された自己
④未知の窓 … 自分も他人も知らない、誰も知らない自己

この4つの窓は、人によってその大きさが違いますが、窓の大きさの比率は固定されているのではなく(ただし4つの窓の総面積は固定)、自分の意思でそれぞれの窓の大きさの比率は変えることができるのです。

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①の開放の窓が大きければ、周囲への自己開示が進んでいることになり、コミュニケーションが上手くいっているということになります。
逆に小さいと、②盲点の窓と③秘密の窓の大きさの比率が高くなり、自己開示が進んでいない→コミュニケーションが上手くいっていないという事になります。

【コミュニケーションが上手くいっている状態】
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もし「自分のコミュニケーションが上手くいっていない」と思っているのなら②盲点の窓と③秘密の窓を小さくすることで、改善させることができるのです。
それでは、どのようにそれぞれの窓を小さくすればいいのかというと…

●「②盲点の窓」を小さくする
→他者からの指摘を真摯に受け止めたり、自分を見直す作業をする

●「③秘密の窓」を小さくする
→表面的でない、本当の自分を見せる

これをやると、「盲点の窓」と「秘密の窓」が小さくなり、
「開放の窓」が大きくなるのです。

 

ここで注意したいのが、「開放の窓」を大きくするためには、
「開放の窓」を大きくして「盲点の窓」と「秘密の窓」を小さくするのではなく、
「盲点の窓」と「秘密の窓」を小さくして「開放の窓」を大きくしなけれはばならないという事です。この大きさの変え方は似て非なるもの。意味が大きく変わります。

自分の「盲点」や「秘密」はそのままに、「開放の窓」を大きくしようとすると、本来の自己とは違う「理想的な自己」ばかりを開放してしまいます。尊大なイメージの人はこの傾向が強く、自分大好きでおしゃべり好きな人というのは決してコミュニケーション能力が高いとは言えないのです。なので「盲点」を縮小し「秘密」をオープンにして、本当の自己を開放することが肝要と言えるのです。

 

「盲点の窓」の縮め方

盲点の縮小化は周囲の協力が効果的で、ポジティブな「盲点」を相互に指摘することに効果がありそうです(なお、ネガティブな指摘はケンカになりかねない。注意)。そんな協力関係が築けるような環境の整備も必要ですが、恥ずかしがらず、勇気を出して「可愛らしい素敵な盲点」いってみてみると、お互い少し親近感がでてくるかもしれません。

ポジティブな相互盲点指摘ができる環境をつくるにはコチラを参考に…

 

「開放の窓」の縮め方

変にカッコつけず、自分の弱さやカッコ悪いと思っている「秘密」をオープンにしてみる。そうすれば「開放の窓」は大きく広がり、円滑なコミュニケーションが取れる事ができるのです。

 

自分の行動次第でジョハリの窓の大きさを変えることで、コミュニケーションを円滑にすることができます。ジョハリの窓で考えると、コミュニケーション円滑化の鍵を握るのは、周囲ではなく自分であるといえるのです。

 

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政治家だけじゃない。職場でも必要な 「政治力」という能力

集団の大小に関わらず、コミュニティには必ず「政治」が生まれ、諸々の問題のほとんどは「政治」により解決されます。その「政治」とは…

せい‐じ〔‐ヂ〕【政治】
ある社会の対立利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決を行い、これを実現する作用。(出典:小学館デジタル大辞泉

とありますが、つまり集団の中で起きる問題は、論理的に明快かつ公平に解決できることは極めて少なく、「政治」という利害関係や力関係を勘案した調整による意思決定よって、関係者が被害最小限で解決されるというものなのです。

 

「政治」で問題を解決するのは、ネガティブなイメージがあるかもしれませんが、双方が自身にとっての正論を述べているときに、理屈で相手を納得させるのは難しい中、「政治」で解決するということは論理的ではなくても、円満に解決できる有効な方法であるのです。

普段の仕事においても、自分を考えを通したい時や、お昼をどこで食べるかなど集団の考えが一致しない問題は、それぞれの「利害関係」や「力関係」を軸に解決されていることが多いのです。人が関わる問題は論理的に解決するというものではなく、お互いの力関係や利害関係で「政治的解決」がされていることがほとんどなのです。

 

政治的解決は、「政治力」がある人が問題解決の主導権を握ることになるのですが、ではその「政治力」は一体何でできているのでしょうか。それは以下の2点ではないかと思います。

 

①権力(結局、エライ人には逆らえないっていうこと)
→指揮命令権・人事権など強制的に相手をうごかせることができる力。肩書の差が力の差を分ける

②影響力(「あの人が言うなら受け入れよう」と思わせる力)
→相手に自発的に動いてもらうよう促す力。「信頼関係」「好きか嫌いか」「実績」「専門知識」が力の差を分ける

 

上記で構成される強力な政治力。ぜひほしい力ですが、会社でこれを得るのはとても大変です。なぜなら①権力を強化するには、役職が得られるよう努力しなければならないですし、②影響力を強化するのにも日頃の信頼の蓄積が不可欠です。

 

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夏目漱石は社会について

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」(出典:夏目漱石「草枕」)

なんて表現してますが、人の世で生きるには、智(ルール)や情や意地一辺倒ではダメで、この3つをバランスよく扱うことが大事でそれがとても難しいということですが、それらをうまく扱える能力が「政治力」であり、社会で生きる上で必要不可欠な処世力といえるのです。

 

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「一生懸命頑張っているのに、思うようにみんなが動いてくれない…」と嘆いている人は、「信頼の蓄積」が足りてないのです

仕事は、面倒くさい事が多いです。

しかし面倒な事でも自分一人で処理することができるなら、まだ良いかもしれませんが、厄介なのはその面倒を「頼む時・頼まれた時」です。

不思議なもので、同じ頼み事でも、相手に抵抗感なく頼める人とそうでない人が存在します。なぜこのような差がでてしまうのか。それは頼む人の「信頼の蓄積」が関係しているからです。「信頼の蓄積」がたくさんある人は、さほどの抵抗なく周囲を巻き込めますし、そうでない人は周囲を巻き込む事で、ものすごい抵抗を受けることになるのです。

 

信頼はどのように蓄積されていくのか

 

それは何か大きいことを成功させ実績をつくらなければならないという事ではなく、継続的な小さい成功・実績の積み重ねです。たとえば

・普段の仕事をソツなくこなす
・約束を守る
・的確な報告・連絡・相談
・ちょっとした声かけ・雑談
・こまめな情報共有
・相手のメリットのなる行動をする

といった小さい成功・実績が、信頼を蓄積することにつながります。
逆に

・普段の仕事がミスばっかり
・約束を守らない、スルーしてしまう
・的外れな報告・連絡・相談
・だれとも話そうとしない
・無意味な秘密主義
・自分のメリット最優先の行動をする

日常的にこのような行動の人は信頼を蓄積できないどころか失っていくことになります。

 

コミュニティごとで「蓄積すべき信頼」は違う

 

信頼の蓄積することの大切さは万国共通ですが、「蓄積すべき信頼」は職場ごと、仲間内でも、そのコミュニティごとでそれぞれで違うのが難しいところです。

仕事ができても生真面目で面白みのない人より、仕事は並でもゴマスリが上手い人が出世したり、仕事ができるが上司に何かと意見・反発する人より、仕事は並でも操り人形のごとく従順な人の方が重宝されることはよくありますが、結局は相手への「蓄積すべき信頼」を見極める力の差がそうさせてしまったわけであり、的を得た蓄積が肝要と言えるのです。

 

”不思議と助けが集まる愛されキャラ”の人は、そのコミュニティでの「蓄積すべき信頼とは何か」をよくわかっていて、普段から信頼蓄積に努めた結果であるということなのでしょう。ちょっと天然っぽくて可愛げのある子分タイプのあの人は、本当に天然なのではなく信頼蓄積が天才的に上手いという事なのかもしれません。

 

一方で、一生懸命頑張っているのに、誰も助けてくれない人もいます。それは周囲への「蓄積すべき信頼」を見誤っているのか、”不思議と助けが集まる愛されキャラ”の人のように、日頃の信頼蓄積の努力をしていないからかもしれません。

協力を得たい時、チームをまとめたい時、人を動かすのに必要なのは、高い身分ではなく信頼の蓄積という見に見えない、極めて解りにくいものです。だから人を動かすのは大変なのでしょう。

 

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「この人とは話が噛み合わないな…」と感じたときに注目したい3つのポイント

 

 

仕事をするからには、必ず関係者とコミュニケーションをとることになるのですが、

「この人とは話が噛み合わないなぁ」とか

「この人は何でわかってくれないんだろう?」と

イマイチ意思疎通がうまくいかないと感じることはよくある事です。

そんな時に注目したいのが、3つの差です。

 

1.情報量の差

2.解釈の差

3.価値観の差

 

イマイチ意思疎通ができていないと感じたときは、

この3点が同じか、同等であることを確認する必要があるのです。

 

 

例えば、何か頼んだ時に、特にスケジュール感を伝えず、

「そんなに急いでないので、空いている時間でやっといて!」とだけ伝えたとします。

 

●頼んだ方と頼まれた方には「情報量の差」があるので…

頼んだ方:(スケジュールを知っているので)
→今週中に、仕上げてもらえばいいや

頼まれた方:(スケジュールを知らないので)
→急いでないなら、来週やろう

なんてことになり、「まだできないの?」と後でモメる可能性大です。

 

●頼んだ方と頼まれた方には「解釈の差」があるので、
「そんなに急ぎではない」という言葉を、

頼んだ方:(仕事=スピードが信条の人なので)
→早くて2、3日、遅くても今週中で仕上げてもらえるだろう

頼まれた方:(マイペースなのんびり屋さんなので)
→「そんなに急ぎではない」って言ってから来週でいいや

なんてことになり、「まだできないの?」と後でモメる可能性大です。

 

●頼んだ方と頼まれた方には「価値観の差」があるので、
「空いている時間でやっといて」という言葉を

頼んだ方:(とても優しい人なので)
→変なプレッシャーを与えないから気遣いのつもり

頼まれた方:(優先順位を決めて仕事を片付ける人なので)
→必要なら時間あけることもできるけど、「空いてる時間でやっといて」って、
結局いつまでにやればいいのかわからない…

なんてことになり、「もうちょっと気遣いのある頼み方してください」と
後でモメる可能性大です。

 

 気心知れた仲の人に「話に主語がなくてわからない」って指摘される人がいます(ちなみに私もよく指摘されます)。

主語なくてもわかるでしょ、なんて自分は思っても、

予想以上に聞き手はあなたのことを理解していないのです。

つまりは「自分と相手の世界は基本的に違う」という極めてあたりまえのことが

いざコミュニケーションをとる場面で抜け落ちてしまっているのです。

自己啓発本などで、“伝わらないのは伝える側の責任である”なんて言葉を目にします。

まさにその通りで、伝える側が3つの差を補うコミュニケーションに

考慮しなければならないのです。

そして「話がわかる人」というのは、

この3点の差を意識して、

話し手との差を埋めながら傾聴できる人のことをいうのでしょう。

 

コミュニケーション能力の高さは「情報量の差、解釈の差、価値観の差」の

3点の差を理解していて、話し相手との差を埋める巧さに比例している

と言えるのかもしれません。

 

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忙しそうなリーダーに「なにか手伝いますか?」と聞いたら「やりたい?」と笑顔で聞き返された

こういうケースに何回か遭遇したことありますが、ものすごい違和感を感じます。これやる人はリーダーとして不適格な感がして仕方ありません。

 

忙しそうな人を見て「なにか手伝いますか?」と聞くのは、手助けする「必要性」や「善意」だったりするのに、それに対して「やりたい?」と「意欲」を問う姿勢に違和感や滑稽さ、面倒臭さを感じていてしまうのです。「意欲」があるから手を差し伸べているのに、「やりたいならやらせてあげる」と思わせるのは、結構上から目線で、無駄なプライドを感じます。

 

 「やりたいなら、やらせる」「やりたくないなら、やらせない」という自主性や意欲を最重視した考えからの「やりたい?」という発言なのかもしれません。仕事において失敗を恐れない意欲やチャレンジ精神は不可欠なものですが、失敗できない仕事もあるわけで(どちらかというと、こっちの方が多い)、そこをリーダーが業務全体を俯瞰し、その責務や必要性をもって判断すれば良いものを、変に「意欲」を求め、仕事依頼の根拠を「意欲の有無」一辺倒とするのは、リーダーとしては安易と言えます。

 

事案の重要性や特性を考えずただ「やりたい人」を募るリーダーは、意欲重視のチャレンジ精神あふれる良いリーダーではなく、状況を俯瞰できていない、「安易なリーダー」であるといえるのです。

そもそも仕事っておおよそ面倒なものが多く、本当にやりたい!と思える仕事に出会えるのは数少ないのが大多数の現実です。表題の「安易なリーダー」に下手に意欲を見せたが故に、多くの仕事を「チャレンジ(押し付けられること)」させられないよう注意したいものです。

 

「意欲の問い方」で思い出すのがこの二つの発言です。

●MLBのイチロー選手がマーリンズと契約するときに球団から言われた

「いたいだけいてほしい」

 ●西武ライオンズの監督だった森祇晶氏が当時のオーナーに、契約するときに言われた

 「(監督を)やりたければどうぞ」

 

この言葉は似てはいますが、意味するところは全く違います。

「いたいだけいてほしい」は球団から契約継続の決定をイチローに委ねられているのに対し、「やりたければどうぞ」は契約継続の決定はオーナーが握っていて、オーナーのプライドの高さも感じます。イチロー選手と森監督はこの言葉を受け取ってどのように感じ、次のシーズンへのモチベーションをどのようにあげていったのでしょうか。

 

つまりは意欲の問い方にも状況判断や言葉のセンスが必要なのです。

 

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作業効率が良いチームは「メンバー業務の責任範囲」が明確で、「チーム内の情報共有が活発」であること

チーム運営において「人海戦術」は品質的側面から効率的とはいえない

 

少ない人数で複数プロジェクトを動かす時、「すべての人がすべての業務をできる」状況は理想的ではあります。常にメンバー総動員して乗り切ろうとする、いわゆる「人海戦術」なやり方は、一見効率的に見えますが、すべてのメンバーが同じ所要時間で、同じような成果をあげる事ができるとは限らず、またメンバーの適性や成果のバラツキなどを考慮する時、「人工(にんく)」の側面では効率的であると言えますが、「品質」と点から見ると、必ずしも効率的な方法ではなるとは言えないと思います。 

 

誰が何をして、(業務・プロジェクト運営の)どの部分に責任持つのか

 

日々の業務やまたは数年先を見据えた計画…短期的な業務から長期的な業務まで、この事を明確にする事で、指示された人は自分の「業務の守備範囲」を知り、自分のすべき事が見えやすくなるのです。

 

「業務の守備範囲」を決めて自主性を高めつつ、チーム内連携を促し、効率的に品質をあげる

 

仮に野球チームの監督がチーム力底上げのため、「ウチは少数精鋭だから、投手も野手も関係なく、9つすべてのポジションをできるようになれ!」と選手に指示したら、まちがいなく選手は困惑すると思います。9つのポジションをできるようにするには、1つのポジションを覚えるより9倍大変です(←単純計算)。もちろんこれが実現できたならすばらしいことですが、結構手間ひまがかかる事は素人でもわかります。

しかし、自分のポジションを上手くなるため、守備全体を知る事はとても有益です。もしチーム力の底上げを狙うのであれば「投手も野手も関係なく、9つすべてのポジションをできるようになれ!」と指示するのではなく「君はセンターを守れ。センターの守備を磨くのも重要だけど、他のポジションの動きも知って連携プレーも覚えてね」と指示すれば、「センターの選手はセンターだけ」ではなく、選手は他のポジションとの連携を意識するようになり、チーム全体の守備力が上がっていくのではないかと思うのです。

 

個々に具体的な役割をあたえることで、役割への責任を与え、その役割から見えてくるであろう取り組むべき課題の発見・その解決に主体性をもって取り組ます事、そしてチーム内の連携を促す事が、効率的に品質をあげる方法なのではないかと思うのです。

チーム内の連携を促すために必要なのは、「業務全体の情報」という潤滑油です。できるリーダー条件とはこの潤滑油を「質の良い情報をメンバーに提供できるか」ということに尽きるのかもしれません。

 

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サービスサイエンスを使って、6つの視点から業務能力を分析する方法

サービスサイエンスという概念があります。「サービス」というものを体系化し分析することで、サービスの向上を図ろうとする学問分野のことで、かのIBMが提唱した概念です(詳細はWikipediaなどを参照)。つまりは、お店など社会全般のサービスをより良くするための概念・学問体系ですが、この概念で「従業員個人」を見ると、その人の業務能力の分析ができます。

我々社会人は、何らかのサービスをしているわけですがこの「サービス」なるものの実体は目に見え難く解りにくいものであるといえます。しかしサービスサイエンスに基づき、「個人がやっているサービス(仕事)」を分析することで、取り組みを「見える化」できるのです。どのように「見える化」するか。以下の6つの視点で分解します。

【業務能力分析の6つの視点】

●正確性
→どれだけ正確に行えるか

●迅速性
→どれだけスピード感のある対応を取れるか

●共感性
→要望をどれだけ読み取れることができるか

●柔軟性
→要望の変化にどれだけ柔軟に対応できるか

●安心感
→不安を抱える人にどれだけその不安を払拭することができるか

●好印象
→どれだけ不快な印象を与えないか

業界・職種は違えど、結局サービスというのは以上の6つの要素に集約されます。この視点を外すと、自分は良かれと思っているサービス(日々の仕事)は、「余計な御世話」や「斜め上のサービス」となってしまう可能性が高いです。

チームのメンバーへ評価指針とすることもでき、かつ自身の働き方の棚卸、自己分析にも使える、サービスサイエンスをうまく取り込んで、日々の仕事に活かしていきたいものです。

 

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「マジメで有能」と思っていたら「マジメで無能」だった。どうするか。

印象がとても真面目そうなのに、実際はあまり仕事ができない(以下、「マジメ系無能」と呼びます)人って結構多くいると感じます。流行語として「真面目系クズ」なんて呼び方もされているようです。

 

「マジメ系無能」の有能なところ

 

「マジメ系無能」な人の主な特徴は以下のようなところでしょうか。
・人当たりはとても良く、話の受け答えもしっかりしている。が、話の内容は理解していない(きちんと話を聞いている印象なので、相手は理解していると誤解してしまう)
・物事へ取り組む姿勢が、とても誠実・真面目である。が、一人で仕事を抱え込み、パンクしてしまったり、完結できなかったりする(周囲に迷惑かけまいと気を使った結果だが、結果的に迷惑かけてしまう)

「マジメ系無能」は「真面目系クズ」という言葉とほぼ同義なので、詳しい特徴は他ブログなどを参照してもらうとして、この「マジメ系無能」の注目すべき点は「相手に良い印象を与えることにとても特化している」点ではないかと考えます。

「マジメ系無能」に近しいものとして、「マジメで有能」という人もいます。2者の違いは「能力」の違いで、「マジメ系無能」と「マジメで有能」を区別するというのは非常に困難です。人の能力というものは点数など客観的な数値化でもしない限り、短時間で把握することなどできず、本来は時間をかけてじっくり第三者が把握するものであると思います。しかしその能力がはっきりするまでは、その人の印象が能力判断の大きな鍵となるわけで、とっつきにくくもジワジワとその能力を知らしめる「マジメで有能」な人よりも、印象操作に長けている分「マジメ系無能」な人の方が、有能に感じてしまうこともあると思うのです。

 

期待していたマジメな人が無能だったとき、どのように対処すれば良いのか

 

良い印象を与えることで「有能」を装う「マジメ系無能」な人ですが、いつかは無能であることはバレてしまいます。

「マジメで有能」と思っていたら、「マジメ系無能」だった。その事実を悟ってしまった時、非常にガッカリすると思います。もしかしたらその人に嫌悪感すら覚えるかもしれません。しかしそれは過度な期待からくるものであり、実力を見誤ったことがそもそもの原因で、一方的に落胆し嫌うというのではなく、期待と実力のギャップを埋める作業をするべきではないでしょうか。つまり、期待しないで、真の実力を冷静に見極めればよいのです。

 

「マジメ系無能」の活かし方

 

マジメ系無能は「嫌われたくない」とか「面倒に巻き込まれたくない」といった”事なかれ主義”が心理の根底にあり、自分が嫌われることや面倒に巻き込まれることからの自己防衛の手段として、マジメ風に装っているのです。

「あ、この人マジメ系無能かも」と感じてしまった時、どのようにして真の実力を判断していくのか。たとえば何かの説明をした時、マジメ系無能はわかっていなくても「わかりました」といってしまうので、本当にわかっているのか確認したり、こちらが何かを指摘した時、曖昧な返答で適当に取り繕う姿勢を感じたら、その曖昧な言葉に突っ込んでその意味する所を明確にさせるといいた方法が有効ではないかと思います。

「マジメ系無能」の発言行動に密かに疑いの目を持ち、冷静にその真の実力を見極めるのです、あくまで優しく、キツく接しないように…キツく接すると自己防衛の為、マジメ風が加速してしまいます。

「マジメ系無能」は本性を隠そうとしますが、そもそも自分の主義主張はあまりない人が多いように思えます。なので視点を変えると、とても扱いやすい人間であるという見方もでき、うまく矯正して、本来の実力内で仕事をやらせれば、元々の印象操作の上手さと相まって「マジメ系無能」は「マジメ系有能」にすることができるはずと思うのです。 

嫌うのは簡単ですが、「マジメ系無能」は悪ではないと思います。できれば上手く使いこなしたいところです。

 

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「公式」と「非公式」2つの組織コミュニケーション。仕事の改善・発展に寄与しているのはどちらか

組織のコミュニケーションは2つに分類できると言われています。

 

1つめは「公式コミュニケーション」です。例えば、
・業務連絡や情報共有
・業務命令
・周囲に知らしめるための正式な通達
といった、発信のために事前の段取りが踏まれた、公式に伝えなければならない情報です。

もう1つは「非公式コミュニケーション」です。公式コミュニケーションでは伝えづらい内容を伝えること、例えば
・ブレスト的な思いつきの提案
・日々のなにげない相談
・業務に関わる未確定な話、未確定だけど事前に周知しておきたい話
・ちょっとした噂
といった、偶発的に行われる、いわば雑談レベルの情報交換の類です。

「公式コミュニケーション」はすでに確定した情報が多いですが、「非公式コミュニケーション」は未確認や雑談レベルではあれど「活きた情報」であることも多く、新たなアイデアに結びつくこともあり、この2つの組織コミュニケーションをバランスよく扱うことで、組織が円滑に機能することができるのです。2者の性質の違いは「結果発表」か「事前の周知・根回し」か、という事になりますが、例えば、ある重大決定の発表(公式コミュニケーション)があったとして、いきなり伝えられるよりは事前に意見を聞いたり周知(非公式コミュニケーション)しておいたほうが、発表後の混乱・反発が少ないということもあり、周囲に公式に知らしめる役割の公式コミュニケーションは不可欠なものでありますが、重視すべきは「非公式コミュニケーション」ではないかと僕は考えます。

 

非公式コミュニケーションの重要な役目「あらたなアイデアのきっかけ」

 

経験上、職場で非公式コミュニケーションが足りない人は「自分の役割だけをしていれば良い」とか、「人間関係って面倒臭い(そもそもコミュニケーションとるのが苦手)」なんて人が多いのではなかと思います。 確かに与えられた仕事をそつなくこなしていれば、上司の覚えよく問題も起きないでしょうが、非公式コミュニケーションをおろそかにしていると、業務の発展や改善することは難しくなると思います。仕事のやり方が自分流もしくは上司からの指示にとらわれてしまい、柔軟な発想ができなくなってしまうからです。
日々の雑談の中で、業務の改善につながるヒントとなる会話が出てくるのはよくある事です。非公式コミュニケーションは凝り固まった思考から解放してくれる性質も持っていると思うのです。

 

公式コミュニケーションは比較的簡単で、非公式コミュニケーションは難しい?

 

 公式コミュニケーションは組織ルールに基づいて適切に手続きをとれれば、その仕組み(職位に基づく情報伝達網)を作ることは比較的容易であると言えますが、非公式コミュニケーションをとるには個々の人間関係や人脈のパイプの太さに依る所が大きく、コミュニケーションとれば、必要十分な質の高い情報が集まるとは限らず、また質のよい情報の集まる先は職位が高い方ではないという事が非公式コミュニケーションの難しい所ではないかと思います。

 

非公式コミュニケーションを強化するにはどうすればよいか

 

定期的に雑談できるきっかけが有れば良いのですが、無いのであれば自ら作り出すしかありません。ちなみに会社の各種歓迎会や会議は、事前の段取りが踏まれた公式コミュニケーションに分類されます。日々の業務で偶発的に行われる、雑談レベルの情報交換ができる機会というと…

・お昼を一緒に食べる
・タバコを一緒にすう
・外出や帰宅方向が同じ方向ならご一緒する
・ちょっと一杯飲みにいく

休憩時間の終了や電車の乗り換え駅に到着、たばこの吸い終わりといった、強制的な終わりがあるイベントであるといえるかも。

もし機会を作っても話す内容はお天気の話や世間話といった当たり障りのない、うすーい会話ばかりです(仕事の話ばかりされても重すぎて敬遠される)。しかし定期的かつ継続的に続けていれば、実のない話ばかりでも、距離は確実に縮まってきます。
新しいアイデアの元となる雑談は実のない会話から生まれてくるものであると思うのです。

 

仕事の発展や改善につながる情報交換の機会、非公式コミュニケーション。その機会を自ら逃しているのは本当にもったいないことであると思います。昼食を同僚と一緒にとることは有効であると思いますが、日々の少ない小遣いで毎日外食は厳しい人もいるでしょう。それでもたまには同僚とランチをしてほしいと思います。貴重な情報を得る機会喪失を考えると数百円のランチ代はただの食費ではなく、投資であると考えることができると思います。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】 

 

 


 

 

職場の自席の近くに「操り人形のようなリーダー」がいて、非常に興味深く観察しています

職場の自席の近くに「操り人形のようなリーダー」がいて、非常に興味深く観察しています。

人の上に立つ者は人柄が重要であると聞いたことがあります。まったくその通りと思いますが、この「人柄」ってやつですが、最近、操り人形のようなリーダーを見ているとこの人を採用した人事担当は「人柄≒優しい≒従順≒気弱≒扱いやすい」と考えているような気がしてしかたありません。リーダーに必要な人柄ってのはきっと「目標に導く賢さや強さ」なのではないかと思うのです。

 

アドバイス通りにしか動けないリーダー=操り人形のようなリーダー

 

チームを率いるべきリーダーが、チームとしての意思決定や行動を考える時、上司や周囲の人に相談することはよくあることです。

仕事でのアドバイスは本来ありがたい貴重なご意見であるはずですが、この「アドバイス」は、問題解決のための適切で賢明な意見であったり、アドバイスという名の体の良い命令に近い事もあったりして、その時々で種類が異なることがあるというのが、すこし厄介なものであると思います。

それはそれでリーダーがアドバイスをよく吟味し、最適な行動をすればよいわけですが、残念なことにそれができないリーダーもいます。アドバイス通りにしか動かないリーダーがいるのです(うまくいかなかったらアドバイザーの発言であることをほのめかしたりすることもある)。こんなリーダーは本当に残念極まりないし、リーダーとして適切な意思決定など出来る訳ないのです。

  

〈参考に読んでほしい「伝え方のヒント」〉

 

アドバイス通りにしか動かないリーダーは本当のリーダーと言える事ができるでしょうか。そんな人はリーダーではなく、ただの操り人形でしかありません。結局はリーダー自身の考えが大事で、アドバイスを「自分の考え」というフィルターにかけ、考える作業をしていないから、結果的にアドバイス通りにしか行動できないのだと思います。

「自分の考え」のフィルターにかけて行動した結果、反発する人はいるかもしれません。しかしそれは当然のことで、それをまとめていくこと(もしくは戦うこと)がリーダーの役割であると思います。自分の考えを通すためなら多少の反発も覚悟の上で頑張れるかもしれませんが、そこを回避して安易に選択したアドバイス通りの行動に対する反発は、大変辛いものであると思います。なぜなら人から言われてやっているだけで、そこには自分の考えなんてないからです(内心自分もアドバイスが間違っていると思いながら行動してたりすると、なお辛いと思う)。

 

考えや意思のないリーダーは必要か?

 

操り人形なリーダーも一生懸命頑張っているのだから、そんな操り人形のためにチームの意思決定は職位上位者の合議制にして、操り人形リーダーはその決定にしたがい実行する体制にすればよいのでしょうか。会社としても扱いやすい方が、なにかと便利かもしれませんが、それで良いわけはなく、現場もしくは問題に直面しているリーダーが自身の考えをもってスピーディーかつ適切な行動をすべきで、それができないのであれば、リーダーの立場からさっさと降ろして、他の適任者に早々に譲るべきでしょう。そのほうが、リーダーに関わる人みんなが仕事がしやすくなると思います(意思決定に関わることになる職位上位者もその方が楽なはず)。

 

自身が「操り人形のようなリーダー」であると悟ったとき、どうするか。自ら降りてもらうのが潔いですが、そのときは操られるのが身に染み込んでいるので、本物の操り人形のように、自らの考えで行動するという発想が欠落していて、そもそも悟ることが困難かもしれません。

チームを運営するにあたり、「リーダー」というポジションは必要不可欠です。そのポジションに位置する人が、リーダーして有能であれば最高ですが、無能であっても形だけの「リーダー役」として有用であることも確かなことで、無能であれば「操り人形」として扱えがチーム運営としては事足りるのです。

そう考えると「操り人形のようなリーダー」は非常に可哀想な人であるとも思えてきますが、もし、操り人形が上手く機能していないようなら、それを生み出した人事担当が責任を持ってリーダーとして適切な「自分の考え」を持たす再教育をするか、退場させるのが筋なのかもしれません。

 

【合わせて読んでほしい、伝え方のヒント】

 

「予見可能性」と「回避可能性」という視点で、ミスした人に公平な視点で指導する

法律的観点から見ると、交通社会は「信頼の原則の上に成り立っています

 

普段なにげなく接している交通社会ですが、仮に運転者が勝手に右車線で走り出したり、高速道路を歩行者が勝手に横断したらどうなるでしょうか。あたりまえですが、事故が起こりやすい非常な危険な状況になります。
人であふれた渋谷のスクランブル交差点を減速せず車で通過できるのは、運転者が「歩行者みんなが〝歩行者信号が赤=横断しない〟という交通ルールを守ってくれるから、道路に侵入することはない」と信頼しているからです。もしルールを守ってくれるか信用できないのであれば、危なくて通過できないどころか、車の運転なんてできなくなります。
実際は危険な交通ルール違反をする人は極めて少なく、安全に運転や歩行する事が可能な今日の交通社会ですが、それは道を行き交う人たちがお互いに「みんなが交通ルールを守って行動してくれる」という信頼もっているからなのです。これを法律用語で「信頼の原則」といいます。

 

普段の仕事も「信頼の原則」の上に成り立っています

 

仕事と交通社会は似ていて、案件に関わる人がそれぞれの役割をしっかり果たしてくれるという信頼があるからこそ目標に向かって自分の仕事に集中できる訳で、何をするかわからないような人が関わっていたらどんなミス(事故)があるかわからないし、安全に目標に向かうなんてことはできなくなります。

 

仕事と似た性質をもつ交通社会で「事故った」時、どうなる

 

「信頼の原則」で成り立つ交通社会ですが、当然事故は起きます。そのとき重要になるのが「どこに過失(責任)があるか?」という判断です。簡単にいうと「誰がどれくらい悪いか」という事です。これにより損害賠償義務の発生や、慰謝料の支払額が決まります。「どっちが悪いとか、誰かを犯人扱いするつもりはない。信頼関係を大事にすべき。だって交通社会は「信頼の原則」で成り立っているんだから」なんて言ってくれる優しい被害者はごく稀です。

交通事故が起きた時、被疑者に問われるのが…

1.「予見可能性(交通事故が発生するような動作、相手の動きを予想できたか)」の有無。

予見可能性がないこと認められたら(不測の事態など)、被疑者は責めを負う必要なし。
もし予見可能性があったと認めれれたら…

2.「回避可能性(事故を回避できる可能性があったかどうか)」の有無。

回避可能性が認められたら
回避義務を問われ…

3.「注意義務違反(過失)=よく注意しなかった君が、幾らか悪い」

という判定になります。

仮に一方が交通ルールを守っていても、その行動に予見可能性が認められれば、ルールを守っていた方も過失を問われます。ルールさえ守っていればいい訳でもないのです。

 

仕事で「事故(ミス)った」起きた時、どうするか

 

仕事に置き換えるとどうなるか。ミスをしたと思われる人(ここではあえて「被疑者」と呼ぶ)に問うことは、

1.「予見可能性(ミスが発生するような動作、相手の動きを予想できたか)」の有無

予見可能性がないことが認められたら(不測の事態など)、被疑者は責めを負う必要なし。
もし予見可能性があったと認めれれたら…

2.「回避可能性(ミスを回避できる可能性があったかどうか)」の有無。

回避可能性が認められたら、
回避義務を問われ…

3.よく注意しなかった君が、幾らか悪い(注意義務違反)

という判定になります。

 

ミスが起きた時、原因調査や注意喚起は、やり方を間違えると信頼関係に傷がついてしまう可能性もあります。注意喚起をする人が公平な目線で注意しないなんてこともよくある話であると思います。

しかし「予見可能性」→「回避可能性」という視点で注意や指導をするようにすれば、当事者の視点を中心とした公平で客観的な調査ができ、相手も納得の指導ができます。

 

 ちなみに、交通社会では過失の割合が「10対0」、つまり片方が一方的に悪いというパターンは少ないそうで、双方が何らかの過失があって事故が起きたという結論に至るのがほとんどだそうです。

日々の仕事も、関わる全ての人が事故を起こさないよう「予見可能性(状況によってミスが起こりうる可能性を最大限に察知すること)」や「回避可能性(ミスが起きそうな時、被害が最小限になる努力をすること)」を意識しながら仕事をすれば、致命的な重大ミスは少なくなることでしょう。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】

【読書感想「やり抜く技術」】目標達成する方法と、リーダーとしての指導力も得られる本

人類は願望を実現することを繰り返し、進化してきました。
時間をかけて環境に適応していくことが進化ですが、自らの意思で生活環境をより良くしていく進化法は人類のみができる進化の仕方です。話が大きくなりましたが、つまり、日々の生活で大なり小なり願望(目標)を達成するための努力をすること、つまり自らの意思で、より良く生きる努力をするということは、最も人間らしい生き方ということであると言えます。

たくさんの目標を持ち、すべて順調かつ素早く達成できれば良いのですが、現実はそうはいかず、むしろ[失敗→挫折→面倒臭くなる→目標を失う〕なんてパターンに陥ることが多いのではないかと思います(自分もそう)。でも「やりたい!」と思ったことはやっぱり実現したいものです。この本は脳科学という切り口で目標達成へのプロセスを紹介した本です。

 

本書に書かれている、「やりぬく技術」を抜粋・要約すると以下のようになります。

●チャレンジすることが大事である

●チャレンジに失敗や挫折は付き物であり、その失敗こそが成長の糧となる

●目標達成した成功のイメージを具体的にする(具体的にイメージ出来ることは実現できる)

●目標達成への具体的な行動計画を立てる

●容易に達成可能なミッションを細かく設定し、目標達成へのモチベーションを維持する

●目標達成のための行動は、全て意味があることを意識し行動する

●小さな良いところをみつける

●やりっぱなしにしない、改善点をみつけて次に生かす

●自力に頼りすぎないようにする

●「わかる」と「できる」は違う。本当に理解した事だけが思考力や想像力を発展させ、目標達成への本当の行動原動力になる

●継続が大事。脳科学的に3ヶ月は続けないと習慣化されない

●過去のマイナスイメージにとらわれない

●根拠のない自信も大事。前向きに考える

●好奇心をもつ

●描いた明確な夢やビジョンを忘れない

●モチベーションが下がる理由は、

「目標達成への行動に意味を感じないから」

「目標が大きすぎるから、漠然と捉えているから」

「周りに評価されないから」

●目標達成への行動は明確な意味付けをして取り組む

●リフレーミングスキルを高めてネガテイブ要素も自分の成長や進化のためになるように捉える

●物事を小さく捉えて片付ける。必要以上に大きく捉えたり、漠然と捉えない

●安易に手っ取り早く済ませようとしない。闇雲に事を処理したり、安易な見積もりで行動しない

●目標が大きすぎると感じる時、自分が手に負えるレベルまで分解し、取り組みを確実に前進する

●マイナス思考にとらわれて現状維持を優先させる言い訳をしない

●寝る前にその日に小さな出来た事を振り返り、モチベーションをあげる

 

詳細は本書を読んでいただくとして、この本を読んで気づいたのは読み方を変えるとリーダーの指導力を鍛えるヒントが凝縮しているということです。先述の本書の抜粋について動詞を「使役の助動詞」に変えると目標達成したいリーダーのための、指導法の手引きに読むことができます。

●目標達成した成功のイメージを具体的にさせる

●目標達成への具体的な行動計画を立てさせる

●容易に達成可能なミッションを細かく設定させ、目標達成へのモチベーションを維持させる

●目標達成のための行動は、全て意味があることを意識し行動させる

●小さな良いところをみつけさせる

●やりっぱなしにさせない、改善点をみつけて次に生かせさせる

●自力に頼りすぎないようにさせる

●過去のマイナスイメージにとらわれさせない

●根拠のない自信も大事。前向きに考えさせる

●好奇心をもたせる

●描いた明確な夢やビジョンを忘れさせない

●目標達成への行動は明確な意味付けをして取り組ませる

●リフレーミングスキルを高めてネガテイブ要素も自分の成長や進化のためになるように捉えさせる

●物事を小さく捉えて片付けさせる。必要以上に大きく捉えさせたり、漠然と捉えさせない

●安易に手っ取り早く済ませようとさせない。闇雲に事を処理させたり、安易な見積もりで行動させない

●目標が大きすぎると感じる時、メンバーが手に負えるレベルまで分解させ、取り組みを確実に前進させる

●マイナス思考にとらわれて現状維持を優先させる言い訳をさせない 

このように動詞を「使役の助動詞」に変えると「やり抜かせる技術」となり、脳科学的にメンバーを導く指南書に読めてきます。このような指導をしてくれるリーダーがいたら高いモチベーションを維持しつつ、目標達成ができる気がしてきます。「理想の上司」ってこういうことをしてくれる人なのかもしれません。

 

ちなみに「やり抜かせる技術」とは逆の行動を考えると以下のようになります。

●目標達成した成功のイメージを具体的にしない

●目標達成への具体的な行動計画を立てない

●容易に達成可能なミッションを細かく設定させず、目標達成へのモチベーションを維持させることができない

●目標達成のための行動の意味を意識させようとしない

●小さな良いところが見つけられない

●やりっぱなしで、改善点を見つけず次に生かさない

●自力に頼りすぎてしまう

●過去のマイナスイメージにとらわれてしまう

●根拠のない自信をもつことができず、前向きに考えられない

●好奇心をもてない

●描いた明確な夢やビジョンを忘れてしまう

●目標達成への行動は明確な意味付けをして取り組むことができない

●リフレーミングスキルを理解できず、ネガテイブ要素を自分の成長や進化のためになるように捉えられない

●物事を必要以上に大きく捉えたり、漠然と捉えてしまう

●安易に手っ取り早く済ませようと、闇雲に事を処理したり、安易な見積もりで行動してしまう

●目標が大きすぎると感じる時、メンバーの手に負えるレベルまで分解せず、とりあえず取り組みを前進させてしまう

●マイナス思考にとらわれ、現状維持を優先させる言い訳をしてしまう 

 …個人的に今まで自分がお世話になった職位上位者の人たちは上記のような人が多かったかもしれません。どうりで上位者の人たちの話や指示になんとなく違和感を感じながら仕事をしていたわけだ。

 「理想のリーダー」になりたい人、「ダメなリーダー」になりたくない人にもぜひ読んでもらいたい、そんな一冊。

 

 【おすすめ図書】

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】 

【読書感想「進次郎メソッド」】結局、ニーズの捉え方のセンスが重要

テレビなど小泉進次郎さんの発言をを見ていると、その言葉に他の政治家とは違う何かを感じます。人を惹きつけるなにかがあるというか、納得感があるというか、みどころがあると思わせるというか…その秘密はなんだろうか、その一端がわかればいいなとこの本を手に取りました。(特別に小泉さんを支持している訳ではないですが…)

この本は政治家論ではなく、小泉さんのこれまでの発言や行動から見えてきた小泉流人間関係術が書かれた本です。この本が他の自己啓発本と異なるところは、小泉さんの発言がそのまま記載されている所で、仕事で使えそうな言葉の言い回しも多数「収録」されていいて、個人的に大変参考になる本でした。「出来なかった時の避難を事前に封じ、やる気をアピールする言い方」はすぐに仕事にも使えそうです。

新卒の人や転職・異動して日が浅い人、組織を牽引する人・そんな立場を志す人、20代30代あたりの人が読むと良いのではないかと思う一冊。

 

この本を読んで思った、小泉さんが人気がある理由。
本書に以下のような分析があります。

進次郎には常に「実績」がついてまわる。スタンドプレーでもなければ、パフォーマンスでもない。まして、打算でも人気取りでもない。
「いま、何をやれば人々に喜ばれるか」
「何をすれば役に立つか」
という視点で行動するため、結果として世間にアピールすることになる。
(メソッド10「どんな偉業も知られてなんぼ」)

「いま、何をやれば人々に喜ばれるか」「何をすれば役に立つか」。小泉さんに限らず、このような視点をもっている人は多いと思いますが、悲しいことにこの視点で行動した結果、「よけいなお世話」や「斜め上な行動」になってしまうこともよくある話で、相手のニーズをいかに的確に捉えるかが重要といえます。小泉さんはこの点においてニーズの捉え方が非常にセンスが良い人なんだと思う。だから、小泉さんは人気があるのでしょう。

「ニーズの捉え方のセンス」政治家だけでなく、あらゆる分野や場面で必要なものであると思います。自分もこのブログを通じてセンスを磨いていきたいものです。

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