職場のコミュニケーション論

職場における、コミュニケーション由来のストレス解消の一助

イケてるリーダーになりたい人へ知ってほしいこと

人類は願望を実現することを繰り返し、進化してきました。


地球の生物は、その誕生から長い時間をかけて、環境に適応していくことで進化ですが、自ら生活環境を変えていく進化法は人類のみができる進化の仕方です。

 

つまり、日々の生活で大なり小なり願望や目標を設定し、達成のために努力をすることは最も人間らしい生き方なのです。

 

たくさんの目標を持ち、すべて順調に達成できれば良いのですが、現実はそうはいきません。

どちらかと言えば[失敗→挫折→面倒臭くなる→目標を失う〕なんてパターンの方が多いのが現実。

でも「やりたい!」と思ったことはやっぱり実現したいものなのです。

 

「やり抜く技術」という本では、脳科学という切り口で目標達成へのプロセスを紹介しています。

 

本書に書かれている、「やりぬく技術」を抜粋・要約すると以下のようになります。

●チャレンジすることが大事である

●チャレンジに失敗や挫折は付き物であり、その失敗こそが成長の糧となる

●目標達成した成功のイメージを具体的にする(具体的にイメージ出来ることは実現できる)

●目標達成への具体的な行動計画を立てる

●容易に達成可能なミッションを細かく設定し、目標達成へのモチベーションを維持する

●目標達成のための行動は、全て意味があることを意識し行動する

●小さな良いところをみつける

●やりっぱなしにしない、改善点をみつけて次に生かす

●自力に頼りすぎないようにする

●「わかる」と「できる」は違う。本当に理解した事だけが思考力や想像力を発展させ、目標達成への本当の行動原動力になる

●継続が大事。脳科学的に3ヶ月は続けないと習慣化されない

●過去のマイナスイメージにとらわれない

●根拠のない自信も大事。前向きに考える

●好奇心をもつ

●描いた明確な夢やビジョンを忘れない

●モチベーションが下がる理由は、

「目標達成への行動に意味を感じないから」

「目標が大きすぎるから、漠然と捉えているから」

「周りに評価されないから」

●目標達成への行動は明確な意味付けをして取り組む

●リフレーミングスキルを高めてネガテイブ要素も自分の成長や進化のためになるように捉える

●物事を小さく捉えて片付ける。必要以上に大きく捉えたり、漠然と捉えない

●安易に手っ取り早く済ませようとしない。闇雲に事を処理したり、安易な見積もりで行動しない

●目標が大きすぎると感じる時、自分が手に負えるレベルまで分解し、取り組みを確実に前進する

●マイナス思考にとらわれて現状維持を優先させる言い訳をしない

●寝る前にその日に小さな出来た事を振り返り、モチベーションをあげる

といった所です。

 

この本の魅力は、目標達成へのプロセスはもとより、リーダーの指導力を鍛えるヒントが凝縮しているということです。先述の本書の抜粋について動詞を「使役の助動詞」に変えると目標達成したいリーダーのための、指導法の手引きに読むことができます。

●目標達成した成功のイメージを具体的にさせる

●目標達成への具体的な行動計画を立てさせる

●容易に達成可能なミッションを細かく設定させ、目標達成へのモチベーションを維持させる

●目標達成のための行動は、全て意味があることを意識し行動させる

●小さな良いところをみつけさせる

●やりっぱなしにさせない、改善点をみつけて次に生かせさせる

●自力に頼りすぎないようにさせる

●過去のマイナスイメージにとらわれさせない

●根拠のない自信も大事。前向きに考えさせる

●好奇心をもたせる

●描いた明確な夢やビジョンを忘れさせない

●目標達成への行動は明確な意味付けをして取り組ませる

●リフレーミングスキルを高めてネガテイブ要素も自分の成長や進化のためになるように捉えさせる

●物事を小さく捉えて片付けさせる。必要以上に大きく捉えさせたり、漠然と捉えさせない

●安易に手っ取り早く済ませようとさせない。闇雲に事を処理させたり、安易な見積もりで行動させない

●目標が大きすぎると感じる時、メンバーが手に負えるレベルまで分解させ、取り組みを確実に前進させる

●マイナス思考にとらわれて現状維持を優先させる言い訳をさせない 

 

このように動詞を「使役の助動詞」に変えると「やり抜かせる技術」となり、脳科学的にメンバーを導く指南書に読めてきます。

このような指導をしてくれるリーダーがいてくれたら、高いモチベーションを維持しつつ、目標達成ができる気がしてきます。「理想の上司」ってこういうことをしてくれる人なのでしょう。

 

逆に「やり抜かせる技術」とは逆の行動を考えると以下のようになります。

●目標達成した成功のイメージを具体的にしない

●目標達成への具体的な行動計画を立てない

●容易に達成可能なミッションを細かく設定させず、目標達成へのモチベーションを維持させることができない

●目標達成のための行動の意味を意識させようとしない

●小さな良いところが見つけられない

●やりっぱなしで、改善点を見つけず次に生かさない

●自力に頼りすぎてしまう

●過去のマイナスイメージにとらわれてしまう

●根拠のない自信をもつことができず、前向きに考えられない

●好奇心をもてない

●描いた明確な夢やビジョンを忘れてしまう

●目標達成への行動は明確な意味付けをして取り組むことができない

●リフレーミングスキルを理解できず、ネガテイブ要素を自分の成長や進化のためになるように捉えられない

●物事を必要以上に大きく捉えたり、漠然と捉えてしまう

●安易に手っ取り早く済ませようと、闇雲に事を処理したり、安易な見積もりで行動してしまう

●目標が大きすぎると感じる時、メンバーの手に負えるレベルまで分解せず、とりあえず取り組みを前進させてしまう

●マイナス思考にとらわれ、現状維持を優先させる言い訳をしてしまう 

 

悲しいかな、今まで自分の上司・先輩たちは上記のような人が多かったような…。

どうりで上の人たちの話や指示になんとなく違和感を感じてたわけだ…。

 

 【参考図書】

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】 

ゲーム理論「エスカレーション・オークション」 リスクしかない仕事は早々に降りるのが正解

「ゲーム理論」という“人や企業、国家など意思決定をする主体(プレーヤーと呼びます)が2つ以上の時のプレーヤーの意思決定や行動を分析する理論”があります。

ここで言う「ゲーム」は“世の中で起きている全ての問題”です。

かといって、「世の中の問題なんてゲームみたいなものだから、楽しみながらクリアしちゃおーぜ!」なんて事では決してなく、起こっている問題は、どのような構造・ルールに支配されているかという視点で捉えた問題の全体像を「ゲーム」と呼んでいるだけなのです。

例えば上司と部下の人間関係や家族間のトラブル、競合会社の出現で業績が上がらない問題も「ゲーム」と捉え、問題の構造や意思決定する主体間のに出来上がっているルールからプレーヤーの意思決定や行動を分析ができるのが「ゲーム理論」なのです。

 

 

このゲーム理論の種類で「エスカレーション・オークション」というゲームがあります。このゲームのルールは

一般的なオークションと違い、 競り落とした人の1つ前に競り値をコールした人も、コールした分のお金をとられるというルールになっています。 商品 が1000円で競り落された場合、その前に900円をコールした人がい たら、その人は商品を手にすることなく、ただ900円を払わなければなりません。(川西 諭. ゲーム理論の思考法 (中経出版) (Kindle の位置No.1684-1690). 中経出版. Kindle 版.)

 というもの。

 

このルールで100円のコインをオークションにかけた場合、利益を得るための最適な行動は「初めから参加しない」となります。負けてもコールした金額を払わなきゃならないのですから、勝つまで競りを降りられない泥仕合に巻き込まれるくらいなら、初めからやらない方がマシということです。

次に良い行動は「ゲームの構造に気づき、早々にゲームを降りる」。一番まずいのは「勝つまでやめない」。「いきなり初回から99円をコールして相手の参加意欲をなくす」手もありますが、相手がゲーム構造を理解してないで「100円!」なんてコールする人も出てくるかもしれません。そしたら泥仕合に一気に巻き込まれます。

 「エスカレーション・オークション」というゲームはリスクしかないので、いくら競りに出されている品が魅力的でも、不利益を被る可能性しかない事に気づき、ゲームには参加せず、もし参加してしまったとしても、早めに降りるのが賢明な選択なのです。

 

仕事でも「エスカレーション・オークション」状態なリスクしかない仕事というものは結構よくあると思います。

しかし、実際はゲームの構造に気づいてもなかなか降りれないのが現実かもしれません。魅力的に感じる仕事であれば「上手くやれば成功するかもしれない」なんて甘い期待をしてしまうのが人情ですが、「エスカレーション・オークション」状態であるならば、早々にゲームを降りるのが正解なのです。

 

「リスクを恐れていては、何もできません!」なんてかっこいいセリフあります。

リスクを恐れていたら何もできないのは確かでありますが、やろうとしている事業のゲーム内容、つまり問題の構造を的確に捉えた上で、リスクしかない「絵に描いた餅」のような事業であったなら、初めからやらなきゃいいし、仕事が動き始めてからゲームの内容に気づいたなら、早々に撤退を検討しなければならんのです。

(参考図書 ゲーム理論の思考法 (中経の文庫)

本当に成功するために必要なこと

人生において成功するにはどうすればよいか。

それは夢や目標を定め、ただひたすらに努力・邁進すればよいわけですが、これが非常に難しい。

特に「夢や目標を定める」のが本当に難しい。

 

世に成功者といわれる人はたくさんいますが、おおよその成功者たちはどのような人なのかというと、

夢や目標に向かい必死に邁進した人であると同時に、

「自分と調和した夢や目標を見つけることができた人」であると思うのです。

 

「自分と調和した夢や目標」とは、個人の思考や行動の傾向という「人格」とマッチした夢や目標と定義しますが、それを知るには自分の心の深いところを知らねばならいわけで、

自分はどんな人間で、何が大切で、何が得意で、どんな状況なら苦を苦と感じなく行動できるか等…これに対する答えは自分自身で見つけるしかないのですが、世のオトナたちは、このような自問自答をする暇もなく、日々の多忙な生活を送っているわけです。

 

夢や目標なんて持たず、上司の顔色をうかがいながら立てた会社での目標を、あたかも人生の目標のようにしてしまっているのが大多数の現実なのですが、これではちと悲しい…

 

自分と調和した夢や目標を持って、ひたすら邁進し目標を達成を目指せる状況って、結構幸せな事なのかもしれない。

「自由で安楽な人生」を送るために必要な事

 

とある本で読んだのですが、ある高名な僧侶は「自由で安楽な人生を送るには、自己中心的ではダメで、慎み深く生きる賢人となりなさい(かなり要約)」と説いたそうです。

「自分が正しい!」と自己中心的な振る舞いで相手に不快な思いをさせた行為は、まわりまわって結局自分のところに帰ってくるというのです。

 

なるほど確かにその通りかもしれない。

 

“自己中心的”と“慎み深い”。言葉だけ見ると、“自己中心的”の方が自発的なぶん、自由な感じがします。“慎み深い”は受け身な感じがして、自由からは少し遠いような…

 

きっと自由のために必要な慎み深さというのは、自己中心的な過度な自己主張せず、お互いの自由や主張を認め合うということなのでしょう。

そうすれば、角が立つこともないし、みんな自由で安楽な生活を送ることができるし。

 

残念ながら、昨今の世の中は自己主張の強い、意欲的でガツガツ行く人の方が自由の確立や成功しやすいようで、「自分が正しい!」を過度に主張できる人が幅をきかせられるのが今の世の中だけど、

そういう人を相手にするのは結構疲れます。

 

でも、周囲にいる自己主張が激しい人あの人に、きっとまわりまわって自身に災禍が来るわけで。最終的に自分に不利益になる自由って一体なんなんだ?などと思ってしまうのです。

世の中も職場でも、お互いに認め合う空気感が本当の自由をうむんだろうなぁ…

 

自己中心的な強い自己主張で得た自由って、実はあんまり価値がないのかもしれない。

 

 

説明が上手い人に共通する特徴は、たった一つ

説明や説得が上手い人は、総じて

話をする相手とのレベル感を合わすのが上手と思います。

 

ここでいう「レベル感」とは、相手の置かれている状況や考え方と同じ目線で話せたり、考えたり、配慮するセンスです。

・相手の内容理解度を把握し、丁寧に説明する
・相手の状況を理解し、的確なアドバイスをする
・相手が理解できる言葉を使って説明する
・一方的な思い込みをせず、相手の性格考え方を肯定的に理解する
といったところでしょう。

このようなことができる人の説明や話は聞く方もすんなり受け入れることができます。

 

しかし逆に
・相手の内容理解度を把握せず、丁寧に説明しようとする
・相手の状況を理解せず、的確なアドバイスをしようする
・相手が理解できない言葉を使って説明する
・自身の一方的な思い込みで、相手の性格考え方を理解しようとする
なんて人もいるのも事実で、

こういう先輩は丁寧で優しい先輩ですが、説明が下手なんで、話を聞く方も苦痛になったりします。

 

日本語が通じない人に、日本語で丁寧に説明しても理解はしてもらいません。これは日本語はわからない人に非があるのではなく、日本語で説明してしまった方に非があります。これは当たり前なことですが、「日本語が通じない相手に、日本語で説明しちゃってるのと同じ状況の人」は結構多いのではと思います。

でも日々の社員教育の場面では、教えてもできないのは教えられている方の能力が足りないという認識の教育担当が多いのではないでしょうか。

 

後輩部下の能力を悲観する前に、教育する側にも問題があることも多分にあるということを「先輩」と呼ばれる方々には少しはしってもらいたいのです。

仕事の属人化と標準化、モチベーションと効率。業務標準化を進める人に気にして欲しいこと

 「あの人がいないから仕事が進まない…」「この業務の内容はあの人しかわからない…」日々の仕事でこのような場面に遭遇することがあります。これは業務が〝属人化〟されているのでこのような事が起きるわけですが、組織として考えると〝属人化=その人がいないと仕事が進まない〟状態は、業務の進行上、様々なリスクにさらされる事になります。 

 

業務を属人化してしまう人はこんな人

 

仕事の属人化は「暗黙知の共有」がなされないために起こります。

業務を属人化してしまう人は、他人に任せるより自分でやってしまった方が早いと盲信したり、仕事をしている実感を得たいためについつい多くの仕事を抱えてしまのです。

仕事の標準化や後進育成など〝すぐやらなくても良さそうだけど、長い目でみるととても大事な仕事〟をどんどん後回しにしてしまいます。その結果、いつまでたっても〝属人化=その人がいないと仕事が進まない〟状況が続く…

属人化を招く人ほどそのことに気づかないので、おそらく業務属人化してしまう人の部下への教育方針は、「働く俺の背中を見て、体で覚えろ!」というふわ〜としたものでしょう。

 

属人化業務は「悪」であり、すべて「標準化=誰でもできるようにする」すべきなのか

 

属人化業務は悪かといえば、決してそういう訳ではありません。属人化されている事で効果を発揮する業務もあります。

●属人化が効果を発揮するケース

・知識やスキルに専門性があり、習得に時間がかかる業務

・個人の個性が効果を発揮する業務

・その場その場で対応を変えなければならない、不確定要素が多い業務

これらの業務では、標準化しようにも、形骸化した基本業務以外のイレギュラー業務について業務内容を洗い出す必要があり、仮に標準化できたとしてもその精度は低く、業務の質が下がってしまう可能性も高いです。

属人化業務にして良い業務と悪い業務があるのです。

 

仕事において、人の手が加わるかぎり、多かれ少なかれ属人化は起きます。

しかし属人化業務の全ては、特定の人にしかできない業務なのか、決してそういう訳ではなく、業務のいくつかは誰でもできるような事もあるはずです。

業務を細分化し、標準化をできるところのみ標準化していけば、例えば退職等による、ノウハウ喪失リスクを最小限にとどめることができるでしょう。

 

標準化は、すべての人を幸せにするのか

 

標準化を進めることで、属人化業務の担当者は自分が築き上げた業務を、取り上げられた気分になり、いい気分はしないでしょう。むしろモチベーションを著しく低下させることも大いにあり得ます。

無理に標準化を推し進めるのではなく、属人的業務の担当者をどのようにフォローするかを考えるべきと思います。

「その人らしさ」活かされる業務は「良い属人化」。こういう良い属人化はむしろ大切にしたほうが良いのです。働きがいが生まれ、職場に良い効果をもたらす事も大いにあると思うのです。

 

プライドをもってやっていた仕事をやたらに標準化しようとするあの人は、職務上位者からみれば効率を重んじる良い部下でしょう。ですが、現場を担う人間から見れば、これまでの仕事への誇りを簡単に踏みにじる嫌なヤツとしか見られないかもしれません。

標準化を進めるには、業務効率化への万能の手段では決してなく、それを進めるのは細心の注意が必要であることを肝に命じるべきなのです。

 

 

容疑者取り調べの極意で、ニガテなあの人と信頼関係を築く方法

職場や取引先のニガテなあの人と仲良くなるにはどうすればいいか。

その方法は結構簡単です。

その人を徹底的に好きになればいいんです。

 

10年ほど前、あるビジネス雑誌に載っていた警視庁で地位のあった人(名前もわからず記憶曖昧です)へのインタビュー記事で、今でも心に残っている発言があります。それは…

 

「容疑者に口を割らせる極意は、その容疑者を徹底的に好きになる事」

 

という発言です。

(確か)捜査一課時代の取り調べの極意なのですが、この記事を読んだ時とても興味深く感じました。

凶悪犯罪の容疑者に事件の真相を語らせるためには、憎っくき容疑者を徹底的に追い詰めるよりは、容疑者の人間性そのものに向き合い、その気質や性格を受け入れる事で、取り調べ人と容疑者の間に信頼関係を醸成し、供述しやすい環境を作るということなのでしょう。

 

では、職場や取引先のニガテなあの人と仲良くなるには、どうすればいいか。

ニガテになった理由は必ずあるはずで、それはメチャクチャに怒られた記憶だったり、とても嫌な思いをさせられた記憶だったり様々だと思いますが、いったんそれは脇に置いといて、容疑者…ではなくニガテな人の人間性そのものに向き合い、その気質や性格を受け入れる努力をしてみるのです、徹底的に。

そうすると「やたら細かくてムカついてたけど、仕事はしっかりしているな」とか「あいつコミュニケーション能力なくてイラっとしてたけど、彼もいろいろ我慢しているのかもしれないな」とか「いつも偉そうにしているあの担当者は、実は頼れる人なのかもしれない」とか…否定的な見方はやがて肯定的な見方へと変わり、これまで停滞していた関係を好転させることができるのです。 

それでも相手は心を開いてくれないかもしれません。それならもっと徹底的に好きになってみましょう。凶悪犯罪者は、心を開いてくれるのだから…

 

 

高コンテクスト文化と低コンテクスト文化で考える、職場のコミュニケーション

エドワード.Tというアメリカの社会学者は言語と文化において、世界にはコミュニケーションのパターンが2つあるとしています。

 

①高コンテクスト文化

人間関係や社会習慣など言語メッセージ以外に依存するタイプのコミュニケーション。詳しく説明しなくてもお互いに分かり合える、察しの文化といえる。「聞く力」が重視される。

②低コンテクスト文化

言語が緻密性をもっていて、言語以外のものに依存しないタイプのコミュニケーション。何事も言葉にして明らかにしないと分かり合えない、言葉の文化といえる。「言う力」が重視される。

 

高コンテクスト文化と低コンテクスト文化では、コミュニケーションに対する考え方が根本的に違うのがわかります。 

 

では、日本のコミュニケーションのパターンはどうかというと、日常的に「空気を読む」とか「行間を読む」といった“あえて言わない美徳”があり、高コンテクスト文化に分類されます。日本においては、相手に全てを言わせないのがコミュニケーション上手な人で、聞き手の能力が問われるコミュニケーションスタイルなのです。傾聴力をテーマにするビジネス書をよく本屋で見かけますが、これは日本が高コンテクスト文化だからと言えるでしょう。

一方、世界の大部分は低コンテクスト文化です。お互いの経験・価値観・倫理観・宗教観・歴史観は大きく異なり、偏見すらある中で交わされるコミュニケーションは「通じない」ことが前提で話さなければならないのです。

  

高コンテクスト文化の日本でも、最近は価値観の多様化で、同じ日本人同士でもコンテクストを共有することは難しくなっています。職場では的確・正確な情報伝達をしなければならない場面も多く、仕事でメッセージを伝える時は「相手も自分と同じ様に解釈してくれるだろう」なんて安易に期待せず、相手は自分のことをよく知らないという前提で、相手に理解できる様にコミュニケーションをとらなければならないのです。

職場での高コンテクスト・コミュニケーションは信頼関係の構築という部分では、大切ですが、それ一辺倒な人は「あの人はいい人だけど、情報共有能力がなく、仕事の能力の低い人」という烙印を押されかねないのです。

 日々過ごす職場は、低コンテクスト文化で言語による情報伝達が大切。「言わなくてもわかるでしょ」ではなく、「言わなきゃわからない」のです。

 

要は高低コンテクストどちらが良いのかという事ではなく、使い分けが大事ってことなのです。

真面目なあの人は、一生懸命仕事をしていいるのに成果が上がらない。なにがダメなのか

真面目そうな性格で好印象だったのに、やることはどれも中途半端で、ミスや失敗が続き、ついには信用を失ってしまう残念な人がいます。そんな人は得てして、目前の仕事に追われ、仕事を一人で抱え込んでいる状況であることが多いと思うのです。

 

真面目なあの人はなぜ、抱え込んでしまうのか

 

①物事の先を見通す力がない。甘い見通しと根拠のない自信から、できると過信してしまう

基本的資質として物事の先を予想したり、計画を立てることが苦手なので、甘い見通しをたててしまう。「何とかなる」「頑張ればできる」といった言葉が大好きで、その言葉の根拠は「人事を尽くして天命を待つ」というものではなく、自分の能力への過信や他力本願的な成り行き任せなもの。

 

②意欲旺盛に見せるのは得意で、何でも抱えてしまう

上司へのアピールのため意欲を見せようとし、キャパシティを考えず能力以上の仕事を抱え込み、結果キャパオーバーとなってしまう。長期的な見通しを考えることができないので、失敗をしたらどうなるかを予想することが難しいので、抱え込まない選択肢がない。真面目そうで期待されながらも、結局、無策のまま失敗し、信用を失ってしまう。

メンバーにこんな人がいたら、リーダーの判断のもと、周囲の人がフォローすれば、いいのですが、特に困るのは、リーダーがこのタイプの人間だった時ではないでしょうか。

 

物事の先を見通す力がないのに、意欲旺盛なリーダーはなぜイタイのか

 

チームで仕事をするとき、業務の進捗や次に何をするかなど、業務の見通しを伝えることでメンバーは安心して仕事をすることができます。

見通しをメンバーに共有していれば、チームに精神的ゆとりが生まれると同時に、不測の事態にも慌てず対処できることが可能になるからです。

情報共有をせず、成り行き任せでメンバーに仕事をさせているリーダーを例えたら…
濃霧の中、100メートル先に敵軍の伏兵がいるのに、「命令を遂行するために急がなきゃ、とりあえず進め、敵なんていないでしょ」と偵察せず進んでしまう、無謀極まりない無能な司令官です。
事前に情報収集をして、100メートル先に敵軍がいることを知っていれば、こんな危険なことはさせません。事前の情報収集と危険予測こそが、リーダーに必要な能力の一つなのではないでしょうか。

「こうなりました、どうしよう」ではなく「こうなるだろうから、こうしよう」という、予測を元にした建設的な見通しで先手を打ち、さらに密な情報共有で、あらゆる事態に適切な対応が可能な体制を作ることがこれからのリーダーに求められるのではないでしょうか。

 

モチベーション最重視のリーダーは、リーダーとして有能と言えるのか

意欲が常に湧き上がり、モチベーションが高く維持できている働き方は理想的であると言えます。

しかし、モチベーションそのものは「ささいな理由で上下してしまう、個人の気分」でしかありません。成果を出す人はどんな仕事をするときでも、自身の気分に関心を払わず、淡々と仕事をするものです。モチベーションは高い方が良いですが、高いモチベーションをもつ人が良い仕事をするとは限らないのです。

つまり、良い仕事をするために、常に高いモチベーションを維持する必要はないのですが、モチベーションが高い人は能力が高く、特別な教育せず放っておいても成果を出してくれる、扱いが楽で夢のような人材であると勘違いしている人は結構多いと思います。 

実際はむしろ逆で、高モチベーションの人ほど、親切丁寧に目標のすり合わせや、目標達成への環境作りをすることが大切なので、決して扱いが楽な人間ではなく、労力かけてでも、最も気を使うべき人材である事を深く認識すべきと思うのです。

 

モチベーション最重視のリーダーはリーダーとして有能なのか?

 

職場で、モチベーションを最重視するリーダーによく遭遇します。こういうリーダーの元では認めてもらうために、やりたくない事も「その仕事やりたいです!」と言わなければならず、脅迫観念に似た高モチベーションアピールを維持しなければなりかねません。見せかけの高モチベーション維持は決して理想の働き方ではなく、窮屈でしかありません。

大小様々なプロジェクトや係の担当者を決めるとき、その人選はリーダーの重要な仕事ですが、能力以上にやる気を重視してしまう、高モチベーション重視主義という考え方は、適切な人員配置を妨げているように思えます。

低モチベーションでも有能な人は立派な成果をあげることができます。仕事の担当決定の決め手は、やはり職務遂行能力であり、モチベーションの有無はあくまで付加的なものとして見るべきなのでしょう。

メンバーの能力を見ず、モチベーションの有無のみで安易に人選してしまうリーダーは、メンバーの事をよく知らず、人選の判断材料が目に見える範囲のモチベーションくらいしかない、チーム運営能力に欠けるリーダーである事を暗に示してしまっているのです。

 

もし自席の近くにやる気をやたら重視しているリーダーがいたら、その人は度量のある尊敬すべきリーダーではなく、実はあらゆる場面で安易な判断をしてしまいかねない無能なリーダーなのかもしれません…

 

〈合わせて読んでほしい、職場のコミュニケーション論〉

仕事では行動を起こす原因になっても、失敗の原因にはできない「忖度」という難しい習慣

仕事で何か問題が起きた時、安易な責任回避の手段があります。それは…

「その場の雰囲気でそうするしかなかった」なんて発言で、第三者が決して確認することができない、記憶や気持ちといった自分の思考やその場の雰囲気を責任とするのです。最近では「忖度する」なんて言葉がよく使われるようになりました。

 

ちなみに「忖度」とは〝他人の心中やその考えを推し量ること〟が本来の意味ですが、今日の「忖度」という言葉は、推量した上で「何かに配慮して行動する」という意味が加わり、〝両者の力関係を背景に、公表できないような要求の受け入れを迫られ行動した〟という使われ方が最近の主な使われ方のようです。

 

日々の仕事でもはっきり要望を言わず、どうか察してください的な感じを醸し出す人は多く、そういった場面では相手の気持ちを「忖度」できるかどうかで仕事のスピードが変わることも事実です。「あうんの呼吸」なんて言葉もあります。

 

しかし、「忖度」した結果、重大なミスを起こしてしまったとき、「忖度した結果、ミスしてしまいました」なんて言い訳は通じず、明確な原因追及が求められます。「忖度」は仕事上、行動原因になりえるですが、言い訳にはならないのです。

 

仕事での「忖度」はダメなのか?

 

 日々の仕事で「忖度」することは決して悪いことではなく、対等な人間関係においては、潤滑油として大切なことであると言えます。

しかし、ピラミッド型の権力構造で「忖度」というものが働くと、上位の人間がその権力を背景に、責任を負うことなく自分の意思を下位の人間に行動させることが可能となります。忖度は責任の所在を曖昧にできる、責任者にとって都合の良い習慣という一面も持っているのです。

会社という組織で生きる以上、意見は違えども上司の意思に従うことは必要ですが、もし問題が起きた時、上司が責任をとってくれると思いきや「下が勝手にやりました」みたいな対応されちゃうことも無きにしもあらずで、逆に「忖度」を求める部下と手取り足取り面倒みてしまう上司の関係も然りです。ビジネスで便宜を図るための忖度は良いことばかりでは無いのです

しかし部下がミスしたときに、上司が「忖度」してくれてうまく対処してくれたなんて事も多々あるわけで…これは対等な人間関係においての潤滑油に属するものなのですしょう。

 つまりは業務上の忖度は潤滑油として必要だけれども、責任追及の場で忖度を持ち出すのはナンセンスで、そうならないように日頃から明確な指示や意思表示はしていかなければならないという事だと思うのです。

 

【コチラも読んでほしい、コミュニケーション論】

「情報共有が苦手な内気なタイプの人」は、意図せず周囲を出し抜いているような状況にしてしまい、結果的に「とても感じ悪い印象を自ら作り上げてしまっている」という推論

できるだけ周囲の抵抗を受けず、自分に有利な行動を起こす方法は意外とシンプルで、あらかじめ秘密裏に関係者へ根回しや決裁者の承認を得て、自分に有利な決定事項としてしまえばいいのです。これを「出し抜く」といいます。

 

物事を決める時、大概は賛成派と反対派がいて、協議を経てお互いの合意の上で決定されるものですが、協議にはそれなりのエネルギーが必要で、もし反発必至の事案であったならば、説得から合意までに相当なエネルギーが必要となります。なので協議をせず、事前の根回しによって一方的に決めてしまう「出し抜く」やり方は、非常に手っ取り早く、自分に有利な行動を起こせる、効率的な方法であるといえるでしょう。

 

しかし事前の経緯を何も知らされないまま、一方的に通達された側としてはこれ以上の失望はありません。「出し抜く」というやり方は物事を決める方法としては効率的だけど、信頼を失う事必至の最終手段であるといえるのです。

 

そもそも出し抜く人は、当然そのリスクを織り込んだ上で出し抜いているものですが、意図せず出し抜いた状況を作ってしまい信頼を落としている人がいます。それは「情報発信のタイミングがやたら遅い(または情報共有しない)人」です。

 

情報共有する際の発信タイミングが「決定事項となったとき」となってしまうのは、事案によっては仕方ない事ですが、「決定しないと発信できない人」という人は困りものです。
そういう人は、こまめな情報共有が面倒と感じるコミュニケーション能力が低い人であるか、資質として事前協議の必要性を感じない問題解決能力が低い人なのである可能性が高いといえるのです。情報発信のタイミングの遅さに文句をいった時、その理由が「決定したら言おうと思っていました」みたいな言い訳が多い人は、注意が必要でしょう。

 

「決定したら言おうと思っていた」事を頻繁に理由にしてしまう人は、単に発信が面倒だからというのが本心かもしれません。しかし相手にしてみれば、事前の協議や進捗を知らされずに、一方的に通達されたように感じるか、場合によっては「出し抜かれた」印象を与えかねないのです。

相手との信頼関係を考えた時、安易に情報共有や進捗共有を怠るのは非常に危険です。情報共有意識が高い人や有能な人は情報共有や進捗共有を重視している人が多く、これを怠ることでの信頼感の低下は、絶対に回避すべきところなのです。

 

…でも「出し抜く」事は仕事がデキる人だからできることだけど、安易に情報共有や進捗共有をを怠る人はデキない人なので、この記事を読んでくれるか、誰かに直接指摘でもされない限り、自ら認識するのは難しいんだろうなあ。。。

 

【あわせて読んで欲しい、コミュニケーション論】

 

コミュニケーション円滑化の鍵を「ジョハリの窓」で考えた

 

「ジョハリの窓」という、コミュニケーションを円滑にするための考え方があります。これは心理学者のジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリ・インガム (Harry Ingham) が考案したもので、この考え方を用いることで、周囲への自己開示の程度がわかり、自分が周囲とどれくらいコミュニケーションが取れているかを自己分析できるのです。ちなみに「ジョハリ」というのは、“ジョ”セフ・ルフト+“ハリ”・インガム=“ジョハリ”であり、二人の名前を合わせてできた造語です。

 

「ジョハリの窓」は4つの窓で構成されています。

①開放の窓 … 自分も他人も知っている、公開された自己
②盲点の窓 … 自分は知らないが、他人は知っている自己
③秘密の窓 … 自分は知っているが、他人は知らない、隠された自己
④未知の窓 … 自分も他人も知らない、誰も知らない自己

この4つの窓は、人によってその大きさが違いますが、窓の大きさの比率は固定されているのではなく(ただし4つの窓の総面積は固定)、自分の意思でそれぞれの窓の大きさの比率は変えることができるのです。

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①の開放の窓が大きければ、周囲への自己開示が進んでいることになり、コミュニケーションが上手くいっているということになります。
逆に小さいと、②盲点の窓と③秘密の窓の大きさの比率が高くなり、自己開示が進んでいない→コミュニケーションが上手くいっていないという事になります。

【コミュニケーションが上手くいっている状態】
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もし「自分のコミュニケーションが上手くいっていない」と思っているのなら②盲点の窓と③秘密の窓を小さくすることで、改善させることができるのです。
それでは、どのようにそれぞれの窓を小さくすればいいのかというと…

●「②盲点の窓」を小さくする
→他者からの指摘を真摯に受け止めたり、自分を見直す作業をする

●「③秘密の窓」を小さくする
→表面的でない、本当の自分を見せる

これをやると、「盲点の窓」と「秘密の窓」が小さくなり、
「開放の窓」が大きくなるのです。

 

ここで注意したいのが、「開放の窓」を大きくするためには、
「開放の窓」を大きくして「盲点の窓」と「秘密の窓」を小さくするのではなく、
「盲点の窓」と「秘密の窓」を小さくして「開放の窓」を大きくしなけれはばならないという事です。この大きさの変え方は似て非なるもの。意味が大きく変わります。

自分の「盲点」や「秘密」はそのままに、「開放の窓」を大きくしようとすると、本来の自己とは違う「理想的な自己」ばかりを開放してしまいます。尊大なイメージの人はこの傾向が強く、自分大好きでおしゃべり好きな人というのは決してコミュニケーション能力が高いとは言えないのです。なので「盲点」を縮小し「秘密」をオープンにして、本当の自己を開放することが肝要と言えるのです。

 

「盲点の窓」の縮め方

盲点の縮小化は周囲の協力が効果的で、ポジティブな「盲点」を相互に指摘することに効果がありそうです(なお、ネガティブな指摘はケンカになりかねない。注意)。そんな協力関係が築けるような環境の整備も必要ですが、恥ずかしがらず、勇気を出して「可愛らしい素敵な盲点」いってみてみると、お互い少し親近感がでてくるかもしれません。

ポジティブな相互盲点指摘ができる環境をつくるにはコチラを参考に…

 

「開放の窓」の縮め方

変にカッコつけず、自分の弱さやカッコ悪いと思っている「秘密」をオープンにしてみる。そうすれば「開放の窓」は大きく広がり、円滑なコミュニケーションが取れる事ができるのです。

 

自分の行動次第でジョハリの窓の大きさを変えることで、コミュニケーションを円滑にすることができます。ジョハリの窓で考えると、コミュニケーション円滑化の鍵を握るのは、周囲ではなく自分であるといえるのです。

 

 【あわせて読んでほしいコミュニケーション論】

 

 

政治家だけじゃない。職場でも必要な 「政治力」という能力

集団の大小に関わらず、コミュニティには必ず「政治」が生まれ、諸々の問題のほとんどは「政治」により解決されます。その「政治」とは…

せい‐じ〔‐ヂ〕【政治】
ある社会の対立利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決を行い、これを実現する作用。(出典:小学館デジタル大辞泉

とありますが、つまり集団の中で起きる問題は、論理的に明快かつ公平に解決できることは極めて少なく、「政治」という利害関係や力関係を勘案した調整による意思決定よって、関係者が被害最小限で解決されるというものなのです。

 

「政治」で問題を解決するのは、ネガティブなイメージがあるかもしれませんが、双方が自身にとっての正論を述べているときに、理屈で相手を納得させるのは難しい中、「政治」で解決するということは論理的ではなくても、円満に解決できる有効な方法であるのです。

普段の仕事においても、自分を考えを通したい時や、お昼をどこで食べるかなど集団の考えが一致しない問題は、それぞれの「利害関係」や「力関係」を軸に解決されていることが多いのです。人が関わる問題は論理的に解決するというものではなく、お互いの力関係や利害関係で「政治的解決」がされていることがほとんどなのです。

 

政治的解決は、「政治力」がある人が問題解決の主導権を握ることになるのですが、ではその「政治力」は一体何でできているのでしょうか。それは以下の2点ではないかと思います。

 

①権力(結局、エライ人には逆らえないっていうこと)
→指揮命令権・人事権など強制的に相手をうごかせることができる力。肩書の差が力の差を分ける

②影響力(「あの人が言うなら受け入れよう」と思わせる力)
→相手に自発的に動いてもらうよう促す力。「信頼関係」「好きか嫌いか」「実績」「専門知識」が力の差を分ける

 

上記で構成される強力な政治力。ぜひほしい力ですが、会社でこれを得るのはとても大変です。なぜなら①権力を強化するには、役職が得られるよう努力しなければならないですし、②影響力を強化するのにも日頃の信頼の蓄積が不可欠です。

 

↓↓↓↓↓↓↓↓ 日頃の信頼の蓄積のしかたのヒントはコチラを ↓↓↓↓↓↓↓↓

 

夏目漱石は社会について

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」(出典:夏目漱石「草枕」)

なんて表現してますが、人の世で生きるには、智(ルール)や情や意地一辺倒ではダメで、この3つをバランスよく扱うことが大事でそれがとても難しいということですが、それらをうまく扱える能力が「政治力」であり、社会で生きる上で必要不可欠な処世力といえるのです。

 

 【あわせて読んでほしいコミュニケーション論】

 

 

「一生懸命頑張っているのに、思うようにみんなが動いてくれない…」と嘆いている人は、「信頼の蓄積」が足りてないのです

仕事は、面倒くさい事が多いです。

しかし面倒な事でも自分一人で処理することができるなら、まだ良いかもしれませんが、厄介なのはその面倒を「頼む時・頼まれた時」です。

不思議なもので、同じ頼み事でも、相手に抵抗感なく頼める人とそうでない人が存在します。なぜこのような差がでてしまうのか。それは頼む人の「信頼の蓄積」が関係しているからです。「信頼の蓄積」がたくさんある人は、さほどの抵抗なく周囲を巻き込めますし、そうでない人は周囲を巻き込む事で、ものすごい抵抗を受けることになるのです。

 

信頼はどのように蓄積されていくのか

 

それは何か大きいことを成功させ実績をつくらなければならないという事ではなく、継続的な小さい成功・実績の積み重ねです。たとえば

・普段の仕事をソツなくこなす
・約束を守る
・的確な報告・連絡・相談
・ちょっとした声かけ・雑談
・こまめな情報共有
・相手のメリットのなる行動をする

といった小さい成功・実績が、信頼を蓄積することにつながります。
逆に

・普段の仕事がミスばっかり
・約束を守らない、スルーしてしまう
・的外れな報告・連絡・相談
・だれとも話そうとしない
・無意味な秘密主義
・自分のメリット最優先の行動をする

日常的にこのような行動の人は信頼を蓄積できないどころか失っていくことになります。

 

コミュニティごとで「蓄積すべき信頼」は違う

 

信頼の蓄積することの大切さは万国共通ですが、「蓄積すべき信頼」は職場ごと、仲間内でも、そのコミュニティごとでそれぞれで違うのが難しいところです。

仕事ができても生真面目で面白みのない人より、仕事は並でもゴマスリが上手い人が出世したり、仕事ができるが上司に何かと意見・反発する人より、仕事は並でも操り人形のごとく従順な人の方が重宝されることはよくありますが、結局は相手への「蓄積すべき信頼」を見極める力の差がそうさせてしまったわけであり、的を得た蓄積が肝要と言えるのです。

 

”不思議と助けが集まる愛されキャラ”の人は、そのコミュニティでの「蓄積すべき信頼とは何か」をよくわかっていて、普段から信頼蓄積に努めた結果であるということなのでしょう。ちょっと天然っぽくて可愛げのある子分タイプのあの人は、本当に天然なのではなく信頼蓄積が天才的に上手いという事なのかもしれません。

 

一方で、一生懸命頑張っているのに、誰も助けてくれない人もいます。それは周囲への「蓄積すべき信頼」を見誤っているのか、”不思議と助けが集まる愛されキャラ”の人のように、日頃の信頼蓄積の努力をしていないからかもしれません。

協力を得たい時、チームをまとめたい時、人を動かすのに必要なのは、高い身分ではなく信頼の蓄積という見に見えない、極めて解りにくいものです。だから人を動かすのは大変なのでしょう。

 

【これも読んでほしい、コミュニケーション論】